雨のエルサレムで、ワインとチーズを 2

中東・アフリカで生き抜く
ベツレヘムの壁画の一画。「壁じゃなくてフムス(アラブ料理で豆やゴマのペースト)作ろうぜ」と書いてある

イスラエル二日目は、朝から土砂降りで夕方まで止む気配がありませんでした。このなかをパレスチナ自治区ベツレヘムへ。

中東からアフリカ、という旅程で雨具が必要だと言う考えが頭からすっぽり抜け落ちていた私は、上着代わりのウィンドブレーカーくらいしか持っておらず、初日から濡れ鼠状態。風も強いので傘程度では邪魔になるだけのように思われ、翌日はまず合羽でも買ってからでないと観光などできないと、雨の中を朝から探し回りました。

ワークマンのような作業用具の店で何とか手に入れたのは、工事現場の誘導員が着ていそうな真っ黄色の雨合羽。伸縮性はあまりないものの、何とかリュックサックを背負った上から着ることができ、フードもあり、丈も膝に届くくらいで、丈夫に見えました。60シュケル、日本円で1800円のなかなか手痛い出費でしたが、ダサい黄色の塊になってしまった自分を実用的と言う言葉で慰めるしかありませんでした。

ユダヤ人新市街から旧市街へ、ゆるやかな下り坂を土壌に浸みこむことなく一気に流れていく雨水に、徒歩でバスターミナルに行くのは早々に諦め、トラムでダマスカス門付近まで下りました。ベツレヘム行きのバスに乗り込んだのは9:30頃。買ったばかりの合羽の水けを少しでもきろうと隣の席の荷物かけにかけ、勢いを増すばかりの雨を眺めながら、早くもろくな観光は出来そうにないような気がしていました。

案の定、ベツレヘム観光の記憶はほとんど断片的にしか残りませんでした。生誕教会へは行ったものの、あまりの人の多さに辟易して生誕の場所を見るのは途中で諦めたし、バンクシーの絵は中途半端に数か所しか見られなかったし、昼食をとった店ではお釣りをごまかされそうになって喧嘩するし。そもそも、バスを降りた途端に群がるように寄ってきたタクシーの客引きとの値段交渉から始まり、やがてひょうやみぞれのようなものの混じる雨の中を凍えながら行き来し、トイレ一つ借りるにも難儀したような場所が、良い記憶として残るはずもありません。

こんな時こそ、人の優しさに触れると格別に有難く感じられるものです。が、いたのは聖地巡礼にいそしむキリスト教徒か、モスクでの礼拝中は凍える客を待たせ、トイレにも行かせずひたすらセールストークを続けたあげく、次の客をつかまえようと適当なところで案内を終わらせながらチップを要求する、現金なドライバーだけ。「5人の子供を育てるためにタクシーの運転手と教師の2足のわらじでひたすら働いている」というお涙ちょうだい話も8割がた都合の良い方便かウソに違いありません。あんな教師がいたら逆に子供の教育に悪い。トイレの恨みは深いのです。

防弾チョッキを着た鳩。バンクシーの作品とされている。

とはいえ、いかんせんどこかに出かけるような天候ではなかったのは事実。もし晴れているか、少なくとも雨が降っていなければ、のんびり歩いてスポットを回れたでしょうし、街の景色を眺めながら、じっくりと“壁”に描かれたアートを鑑賞することもできたでしょう。 中心部を歩き回る程度ならタクシーなどいらないように思います。地元の人の生活を垣間見るような機会がなかったのも残念です。少しでもそれができていれば、ベツレヘムと言う街の印象は全く違うものになったかもしれません。

そんななかでも、一つだけおすすめを上げるなら、Milk Grottoミルク・グロット教会。ここは聖家族がヘロデ王の虐殺から逃れてきた際、イエスに授乳しようとした聖母マリアから一滴したたり落ちた乳で白く染まった、という伝説のある場所です。

由来のとおり、外壁も内部も優しい乳白色で、暗い雨の日でも淡く輝いているような、穏やかで神秘的な雰囲気がありました。中に入るとほの白い洞窟のようになっていて、ずっと奥まで歩みを進めれば、ガラスから下の礼拝所を見ることができました。私たちが訪れた時にはちょうどシスターたちが礼拝していて、かすかに聞こえる聖歌が耳に心地よく響いていました。

因みに、天候のせいかもしれませんが、“パレスチナ”と聞いて走るような緊張感を感じることはほとんどありませんでした。イスラエルとの壁を感じたのは、帰りのバスで銃をかついだイスラエル兵にパスポートチェックを受けた時くらい。壁のアートを見ている時にはやはり感じるものがありましたが、観光で訪れる分にはベツレヘムは何の問題もないように思われました。とはいえ、入国時に「パレスチナ自治区に行きたい」と匂わせるような発言はもちろんご法度。現地へ言ってからも不用意な言動は慎むべきでしょうけれど。

さて、エルサレムとベツレヘムを結ぶバスは行きに下りた場所から帰りがでるというわかりやすさ。その帰りのバスの中で、思わぬ再開を果たしました。ヨルダンからのイミグレで別れることになってしまった、日本人のバックパッカーカップルが乗り込んできたのです。彼らもベツレヘムを訪れたものの、無残な天気に敗れて早々にエルサレムへ戻るとのこと。帰っても特に予定のない者同士、エルサレムでお茶でもということになりました。

終点のバスターミナル付近のアラブ人街では適当な飲食店を見つけることができず、結局旧市街へ入ってカフェに落ち着きました。自分たちが何を頼んでいたか、忘れてしまったのですが、二人は一つのミルクチャイを仲良く二人で分け合って飲んでいました。今振り返ってみると、最低限の旅をする彼らに、それくらいご馳走するべきだったのだなぁと思います。ただ、言い訳ができるなら、ワーホリでお金を稼いではバックパックを背負って世界を回るという二人は大人びていて、おそらく年下だろうとわかりつつも、なんというか、そういうことをさせない貫録がありました。あるいは、そんな彼等に何か与えられる余裕が、こちらにこそ足りなかったのかもしれません。

「旅先で知り合った人に、イスラエルが一番良かったとおすすめされたんですけど。物価は高いし、宿の人はなんか胡散臭いし」

「それに教会に入ろうと思って道を歩いていたら、前にいた人にいきなり押しのけられて。何かと思ったら後ろからきたベビーカー連れの夫婦を通そうとしてて、お互いにこやかに有難うとか一緒にお祈りしようとか言ってるんですけど、え、俺たちは?って感じ」

「そりゃ見るからにバックパッカーだしアジア人だし、実際キリスト教徒でもありませんけど。その差はなに?!っていう」

「見るとこいっぱいあるかもと思って長めに日程組んでたんですけど、早めに切り上げて次に行こうかなぁ」

「こんなに寒いと思わなかったし?」

「そうそう!わたし寒いの苦手で…」

そんな愚痴から始まり、彼らのなれ初めや旅の話をひとしきり聞き、やがて店がディナーの準備を始めるころに外へ出ると、いつの間にか雨が止んでいました。しかし、気まぐれにいつまた降り出すかわかりません。日暮れまでの短い時間、私たちは4人でおしゃべりしながら旧市街のなかをあてどなくさまよい、時折見つけた教会や史跡をのぞいて、やがてそれぞれの宿泊場所へと戻っていったのでした。

彼らは旧市街のアラブエリアにある安宿に止まっているとかで、朝晩の食事が配給のように決まった時間に出されるのだそう。1日ごとに現金で宿代を払うのですが、昨日いきなり「客が少なくなったから」と言う理由で料金が上がったと、ぼやきながら帰っていきました。

「おやすみなさい。良い旅を!」

そう言って別れたものの、人種や宗教といった複雑なもので明確に線引きされた、エルサレムと言う小さな世界で、日本人の旅行者というラベルをまとわされた私たちは、この街にいる限りまた引き寄せられるように出会うのではないか、そんな気がしました。

こうして終えたイスラエル2日目。エルサレムのアパートへ帰ってきた私たちは夕食後、薄くカットされた全粒粉のパンにあの山羊のチーズを散らし、はちみつを垂らしたものをつまみに、ワインを飲みました。

初日に買ったワインは実は3本。全て同じメーカーのもので、それぞれ35シュケルほどしていたのを、三つ買うなら合わせて90シュケル(1本1000円しないくらい)で良いという言葉につられて購入。友人はほとんど飲まないので、4泊で3本は無理かなぁと思いつつ、最終的に2本を空にして、1本はお土産となりました。

赤ワインを少し残して、この日開けたのは甘口の白ワイン。「デザートワインのようだよ」と勧められたのですが、確かに味はかなり甘めで、そして香りが良いのが印象的でした。帰国してから開けた普通の白ワインも、味に比べて香りの良さが際立っていたので、この地方の特徴なのかもしれません。

チーズの旨味にはちみつとワインの濃厚な甘さ、パンの滋味、そしてどこからか来るちょっとした青臭さと苦味が、やみつきになりそうな味わいでした。口の中には甘さと共に色々な香りがして、ほっと一息つきながら、雨に打たれた一日をぼんやりと振り返ったのでした。

最後に、実用性を重視して購入したはずのレインコート・ワークマンスタイル(色:黄色原色)の悲報。この日ベツレヘムで寒さをしのごうと下へ引っ張ったところ、見事に穴が開きました。バンクシーショップでお土産に買った麻っぽいトートバッグもすぐに手が取れて縫い直すことに。ここいらで物を買うのはお勧めしません。雨季にイスラエルを訪れる際には日本から雨具(合羽推奨)のご用意を。

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