ベトナム人とブン・チャーと

アジアで食い倒れ
ハノイで人気のつけ麺、ブン・チャー

ベトナムほど出入国に時間のかかる国はそうありません。

2019年の冬に初めて訪れた時、日本から約6時間、機内からやれやれと出てきてイミグレーションまで進み、あまりの大行列に茫然としました。遅々として進まない列に並びながら、「これは前途多難かもしれない」と、早くも憂鬱な気持ちでうなることおよそ60分。

やっとたどり着いた先では、職員が淡々と、パスポートを見て、こちらの顔を確認しています。ラテン系やアフリカの国でよく見られるように、無駄なおしゃべりをするでもなく、はたまた欧米系にありがちな、どれだけ並んでいようと休憩をとる者がいるでもなく。人が足りないのかと思えば、窓口は全て開いていて、皆黙々と作業しています。

いったいどうしてこんなに時間がかかるのか。

一見して不思議な現象ですが、これこそある種、ベトナムの国民性を体現しているといっても良いかもしれません。すなわち、週6日、朝から晩まで不平不満もなく働く。ただし、のんびりと。

ハノイでは出国時にも、これまた長時間待たされることになりました。それも、イミグレーションにたどり着くまでもが長かった。チェックインだけで2時間近く。

出国に時間がかかると言えば、イスラエルなどは離陸の3時間前までに空港に到着しているようにとアナウンスされますが、ベトナムも同じようにするべきじゃないでしょうか。およそ3時間前にノイバイに着いていた私たちが、ゲートにたどりついたのがちょうど搭乗時刻。案の定、ゲートは開かず。どころか、電光掲示板はいまだ「最終チェックイン」を示していたのですから。大幅に遅延したのは言うまでもありません。

そもそも、格安航空会社であるはずのベトジェットですら、オンラインチェックインや自動チェックイン機器を導入していないという、効率化の‘こ’の字もない状態。

「真面目なんだけどねぇ。ゆっくり、よく働くのよ」

ベトナムでしばらく働いたことのある友人は慣れたもので、列の最後尾に着くなり鞄から分厚いハードカバーを取り出して読み始めました。

世に吹く生産性向上の風など、ベトナム人にとっては遠い世界の出来事のようです。旅行好きな仲間内であつまると、「暑い国の人間は働かない」というのがしばしば話題に上りますが、これに共産主義の組み合わせとくれば、きりきり働けと言う方が、どだい無理なのかもしれません。

やっとこさ到着した空港のロビーには、多くの人が花束を手に待っていました。今日はどこぞのVIPがくるのかしら?と思わせるほど立派な花を抱えた人もいて、ベトナム人にとって空路での移動がまだまだ特別な物であることを感じさせました。

興奮気味の人々を横目に、到着ロビーの端に並ぶATMの中の1台でベトナムドンを引き出します。200,0000VND、日本円にして1万円ほどという上限いっぱいに引き出してみて、物価の安い国に来たのだな、と思います。それにしてもゼロが多い。

空港から市内まではバス。

チケットは乗り込んでから払う方式です。車内には運転手のほかに若者が一人いて、何かと乗客の面倒をみていました。発車後に運賃を回収してチケットを配るのも、乗客の行きたい場所を聞いては降車駅を教えるのも、大きな荷物をバスの中ほどに集めて管理するのも、彼の仕事のようでした。

私たちが乗り込んだのは、ちょうどバスの座席が埋まった直後。彼はにっこり笑って、「こちらへどうぞ」と、一番前の席の後ろ側にある荷物置きのスペースを示しました。一昔前の日本のバスにもよくあった、あの隙間は、なるほど確かにお尻を置けば人一人が悠々と座れそうです。あまりにもすみやかに自然に案内されたので、私と友人は何の気負いも持たずに左右の荷物置き場に腰を落ち着け、横脇に設置された手すりの延長線上に、折りたたんだ脚の先を乗せました。しばらくして、幾人かの日本人の若者が乗り込んできた時はじめて、いい年をして荷物置きに堂々と座っていた女二人、ちょっとばかり恥ずかしいかな、と思ったのでした。

しかし、郷に入っては郷に従え。ベトナム人の“ポーター”に案内されたのだから、ここが私たちの席なのだ。

ふてぶてしい二人を乗せてバスが走りだします。

「すげえクラクション鳴らすじゃん」

「うわ、うるさっ!」

「これがベトナムか~」

大学の卒業旅行と思しき男子学生のグループが、口々に興奮したように言うのを聞いて、思わず友人と顔を見合わせました。実はこの少し前、中東からエジプトを旅していたせいで、後ろが空いた状態で煙を上げながら走る車を眺め、クラクションと排気ガスにまみれて歩いていた我々からしてみれば、この程度の喧騒はかわいらしいもののように感じられていたからでした。

あれだけ色々と消耗させられた旅路だったのに、こうなってくると、大人げない優越感とともにニヤニヤと愉快な気持ちが湧いてきます。

エジプトに行きたまえ、諸君。

旧市街の端にあるホテルにチェックインすると、すぐに遅い昼ごはんを食べに出かけました。

お腹が空いていた我々は、ホテルの受付でおすすめの飲食店を聞き、なかから一番近そうな場所を目指しました。2ブロックほど先の、「ブン・チャー Bun Cha」の店でした。ブン・チャーというのは、私も食べるのは初めてだったのですが、ベトナムのつけ麺のようなものです。ベトナム料理が人気を博して久しい日本でも、これを出している店はあまりありません。ベトナム好きの友人がことあるごとに「食べたい、食べたい」と念仏のように唱えるので、いつしか私の中でも

“ベトナムへ行ったらまず食べるもの”

のようになっていました。

細くも車と人が絶え間なく行きかう通りに面した狭い店では、半端な時間だと言うのにいくつものグループがプラスチックの椅子に陣取って、忙しなく箸を動かしていました。前にいたカップルと入れ替わるように席に着くと、道の向いやはす向かいにも、同じ店が見え、人気ぶりをうかがわせます。

「ブン・チャー!」と言って指を2本たててみせれば、立て続けにドン、ドン!と大きな器が置かれます。真っ白な米粉の麺。そしてさまざまなハーブが大量に。いずれも、店の前の大きなバケツのようなものの上にかごを置き、申し訳程度にラップでほこりよけをしたなかから、おばさんというにはまだ若そうな店員が、無造作につかみあげてよこしたもの。ほどなくして、どこからかどんぶりが運ばれてきて、各人の前に一つずつ置かれ、付け合せの揚げ春巻きがたっぷり乗った皿が最後に。とにかく迫力のボリュームです。

どんぶりを覗き込むと、透明なつゆの中に、ところどころ焦げ目の付いた厚めの焼き豚肉と、小さなハンバーグのような塊がいくつか入っていました。このハンバーグは食べてみると旨味の強い鶏肉だったので、つくねと言うべきでしょう。ところどころコリっとした食感もある、軟骨入りでした。

だしの効いたつゆには酸味があって、好みで入れる大量のハーブの香りと、ギュッと濃厚な焼き肉の味と合わさると、もう止まらない美味しさがありました。反対に、麺自体は本当にシンプルで、見た目はそうめんのようですが、塩分がないためコシもなく、固まっているところをぶつりぶつりと切って食べることができます。揚げ春巻きに手を付けるのも忘れずに。こちらは味は付いていないので、たっぷりとつゆに浸して食べます。別添えで生唐辛子の千切ったのや、小ぶりのライムも回ってきます。

私たちは、時折思い出したように美味しいとつぶやきながら、しばらく無言で食べすすめました。こういう時、誰かと一緒に旅行していて良かったと思います。別段、美食談議に花を咲かせるわけでも、調理方法を分析するわけでもありません。けれど一人では、いくら美味しいものに出会っても、ぐっと無言で噛みしめるか、変な目で見られることを承知で独り言を言うか、せいぜい店の人間をつかまえて感想を述べるかです。

「美味しい」と口にして、それに頷く人がいるだけで、その美味しさには広がりが出来て、何だかレベルが一段上がったような気がします。美味しさを共有することには、感情の発露以上の何かがあるように思われます。

途中、アジアと欧米系の女の子たちがやってきて、「あなたたちが食べてるのは、何ていうやつ?」と聞かれたりしながら、お腹がいっぱいになる頃には、どんぶりの中の肉はなくなり、山盛りだった麺やハーブもあらかた片付いてしまいました。日本円で400円程を支払い、店を後にしました。

どうも、ブン・チャーはベトナム北部でよく食べられているようなので、行かれた際は是非食べてみてください。つけ麺好きな日本人は多いので、国内でも気軽に食べられるようになる日が来ないかな、と期待していますが、ハーブひとつとっても、あの種類をあの量おしみなく提供するのは難しいかもしれません。

それにしても、最初からこんなものに当っては、いくら仕事が遅かろうが、待たされようが、「まぁ良いか」という気持ちになってしまおうというもの。

それに、バスの“ポーター”のお兄さんやホテルのスタッフ、飲食店にいた人々は、結構シャキシャキ働いていたように思いました。ベトナム人が苦手なのはデスク仕事か?はたまた公務員がいかんのか?と考えつつ、ベトナム料理の強さを改めて実感したのでした。


ハノイで人気のつけ麺、ブン・チャー
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