〈新型コロナウイルスの影響下、ウィルスの猛威もさることながら、見えぬ脅威によってもたらされた人の営みの異常には驚くばかりです。
この事態に最も強く影響を受けるものの一つが、旅行業界であり旅行者。平和でつつがない世であればこそ、旅は楽しめるのだと、思わぬ形で実感しました。
どうか一日も早く収束しますように。2020.3.13〉
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ドン・ルイス一世橋を渡って反対側には、小高いところにセラ・ド・ピラール修道院があり、川岸にはいくつかのワイナリーが点在している。
路面電車の通る橋の上部から川のたもとまでは、その高低差を利用したゴンドラが運航している。橋を渡り切ったところにあるチケットショップへ入ると、ゴンドラの片道や往復、修道院の入場券、ポートワインのお試しチケットなどを組み合わせて購入できるようになっていた。観光資源が効率的に管理、活用されているようで感心する。
日頃の運動不足から、午前中で既に足に溜まった疲労を無視できなくなってきた私たちは、ポートワインで足元不如意になる可能性も考慮して、ゴンドラの往復と修道院の入場がセットになったチケットを買った。
もっと時間があったなら、下りくらいは歩いて行っても良かったと思う。しかし、いかんせんポートワインが待っているし、見学の時間が読めない。それに修道院への入場もあらかじめ時刻が決まっており、チケットに印字された17:00までには戻ってこなければならない。
仕方ない、仕方ない、と言いながら、さっそくゴンドラへ乗り込んだ。
見晴らしの良い高台から一気に川べりまで下りていくゴンドラは、乗っている時間こそ短いが、遮るものなく街を見渡すことができ、爽快だった。
あっという間に、川岸へ到着した。辺りに並ぶハンドクラフトなどを売る出店でコルクの雑貨やアクセサリーなどをぶらりとみてから、近くの商店で水とポストカード、そして切手を買った。
日差しが強くなるのに比例して、朝からだいぶ気温が上がっていた。冷たい水に元気をもらい、一路、対岸から目を付けたワイナリーを目指す。ポートワインの老舗の一つであるGRAHAMへは、ここからとにかくぐるぐると登る。結構な傾斜の道を10~15分ほども登ると、入口にたどり着いた。
入ってすぐの辺りにはレストランがあり、そこを突っ切って左に回り込むように進むと、ワイナリー見学の入り口があった。途中には宿泊施設のようなものも見えたので、泊まることができるのかもしれない。
入口から右手側の受付カウンターでツアーについて聞くと、1時間ほど後に英語のものがあった。とりあえず申し込みと支払いを済ませ、どこかで時間をつぶすことにした。
「川の方まで戻っても良いけど」
と受付のお兄さん。
「おもてのレストランやバーはおすすめだよ。景色が良いから」
上がってきて最初に見たレストランのことなら、なるほど確かに近いし安心だ。いよいよ上着を脱いでTシャツ一枚になっていた私にとって、再び中心まで下りてまた登るという選択肢はもはやない。
来た道を少し戻ってレストランの建物へ入ると、愛想のよいウェイターが
「何か食べます?Bar?」
と聞いてきた。レストランでゆっくり食事をするほどの時間はないように思われたので、「Barで」と答え、助言に従ってテラス席へ。
暑かったので、私はロゼ、妹はアイスティーを、すぐ出てきそうなつまみと一緒に頼む。ポートワインは後でのお楽しみだ。
「ポルトは初めて?ポルトガルは?」
ウェイターが給仕をしながら話しかけてきた。
「リスボンには一度行ったことがあるんだけど、ポルトは初めてだよ。あなたポルトの人?」
「僕はリスボン出身だよ」
「リスボンも良い街だよね。ポルトとどっちが好き?」
「うーん、そゃあ…」
ウェイターはちょっと身をかがめるようにして、「リスボンだね」と言って笑った。大きい声では言えないけどね、というように。
「ポルトだってもちろん、良い街だよ」
とってつけたようにそう言い、楽しんでとウィンクして去っていった。気障である。
乾杯して一口、二口、グラスを傾ける。すっきりとしたのど越しの冷えたワインが染み渡った。目の前には受付のお兄さんの言う通り、風景画にしたくなるような穏やかで明媚な景色が広がっていた。
ポカポカした陽気も相まって本当に気持ちが良い。お酒も進む。おつまみもなかなか美味しくて、そんなに食べるつもりはなかったはずなのに、ついもう一皿、もう一つ、と頼んでしまった。
すぐに出てきたのは、小イカの中にクスクスやライスなどの詰め物をしてトマトとオイルのソースに漬け込んだもの。隣でアメリカ人らしき4人組がこの料理の完成度にしきりに感心して、給仕の女性に材料を尋ねていた。スパイスだの何だのと細かく尋ねられたスタッフは、最初のうちこそ何度も厨房へ聞きに戻っていたのだけれど、最後にはこう締めくくった。
「お客様、このお料理、実はうちオリジナルの缶詰なんですよ。あちらの建物の中の店でご購入いただけます。ええ、ほかにもいくつかおすすめがございます。宜しければ是非」
そういえば、ポルトガルは魚介の缶詰も名物だ。このクオリティなら、多少高くてもあのアメリカ人達は買っていくのだろう。
他にも生ハムのアランチーニなど、小ぶりだがさっくりと揚げたてで、ワインによく合った。料理が出てくるのはのんびりしていて値段も安くはないが、この景色を楽しみながらちょっと美味しいものをつまめるのだから、その価値は十分にある。
お腹が満たされたころには、あっという間にツアーの時間となっていた。
はや足で集合場所まで戻ると、既に10人超の人々が待っていた。ほとんどが欧米人で、アジア系は私たちの他に中年カップルが一組いたが、彼らも英語で会話していた。
初めにシアターで短い映像を見てから、さっそく地下のカーブへと入っていく。両腕を広げたくらいの樽がいくつも積み上げられたエリア、巨大なタンクの並び、年ごとに瓶詰めされたヴィンテージボトルの一画。私たちは湿った庫内に染み付いた甘い香りを吸い込みながら歩いた。
ガイドは眼鏡をかけたひょろりと細身の青年で、彼はとても明朗で聞き取りやすい英語を話した。 ワイナリーの歴史、ポートワインの種類と特徴、ブドウの栽培地域についてから抜栓後の保管方法まで、要所要所で立ち止まりながら解説し、質問に答えていく。
実は、ポルトガルのワイナリーなのに、という疑問が一つあった。ドウロ川の向こうからワイナリーの看板を見た時、懐かしくなってついここに決めたのだけれど、「GRAHAM」というのはどう考えてもポルトガルの名前ではない。英国の、それもスコットランドやアイルランド系の姓だ。私にとっては2年ほどすごした大学の隣にあった酪農企業の名前であり、留学中はそこの新鮮な乳製品に大変お世話になった。
この疑問の答えも、ポートワインの歴史を紐解けば明らかになる。
英国と言えば昔から最大のワイン輸入国だった。自分のところで作れないものだから、初めはフランスから仕入れていたが、この2国は長い戦争を繰り返したことによって犬猿の仲に。今でも、典型的なイギリス人はフレンチ嫌いのイメージが確かにある。嫌いと言っても、今では憎しみあっているというよりは皮肉やジョークのネタになるくらいのものだけれど。
とにかく英国は、大好きな酒の新たな供給源を探す必要にかられたわけだ。ポルトガルからは もともとワインを輸入していたものの、その量が急激に増えていく。ドウロ川流域に良質なブドウの産地を見つけたは良いが、大量のワインを質を落とさず英国まで運ぶのにどうしたらよいか。考える過程で、強いアルコール(ブランデー)を添加して劣化を防ぐ方法が取られ始めた。
当初は渋みの強い辛口の完成品にブランデーを投入していたので、それはそれは強烈にガツンとくる味だったらしい。そこへ、とある修道院では発酵の途中でブランデーを加えることで大変美味しいワインを作っているという情報を得て、試してみたら…。これが英国人の大好きなポートワイン誕生の瞬間だった。
そんなわけで、ポートワインはポルトガル人の誇りだが、英国人によって生み出されたともいえる。産地の探求から輸出の管理工夫まで、たずさわっていたのは英国の商人達だったから、ポルトにあるワイナリーのほとんどが英国名なのもその名残だろう。
妙に納得しているうちに、青年は「ポートワインがどのくらいもつか」という説明を終え、ツアー客の「ポートワインに合う食べ物」についての質問に丁寧に答えながら、「ではお待ちかねの」と言って、テイスティングルームへ案内してくれた。
ポートワインにも大きく2種類あって、ルビーポートはその名の通り美しい赤紫色の、大樽やタンクで3年以上熟成させた若いもの。ただし、数年に一度の極めてぶどうの出来の良い年には、2年ほどでボトルに詰めて瓶内発酵させ、改めて認定を受けたうえでヴィンテージポートとなる。
もう一つ、トゥニーの方は発酵の進んだような黄褐色で、だいたい10年単位で熟成させる。小型の樽で酸化熟成させながらブドウの種類や年代の違うものをブレンドしていく。甘口だが複雑みがあって、特に食後種として好まれる。
ちなみに、ポートワインというと赤のイメージだけれど、白もある。今回は飲む機会がなかったが、ホワイトポートは比較的辛口だそうだ。
ポートワインの良いところは味以外にも二つあって、まずは値段が安いこと。ヴィンテージでもそれほど高くないので、英国では子供が生まれるとその年のヴィンテージポートを購入しておく習慣があった。
もう一つは、開けてからも長期間美味しく飲めること。繊細なヴィンテージでも2週間、トゥニーなら何か月ももつという。おひとり様には万々歳のお酒である。
もちろん買わないという選択肢はない。
テイスティングで気に入ったものを一本ずつ、それからお土産用の何種類か小瓶の入った飲み比べセットを購入した。甘いとはいえアルコール度数は20%前後あるので、3種類も飲めば普通でも心なしかふらっとする。酒に弱い妹は味を確かめると早々にグラスを私の方へ回していたが、すでに顔は真っ赤だった。それでもいそいそと瓶を抱えてレジへ向かっていた。
そこそこのポートワインが€30以下という驚きの値段に、二人ともほくほくした気分でワイナリーを後にした。
帰り道は下り坂。ずっしりとした重みが、帰国後の楽しみを思わせて心地良い。20年もののトゥニーとチーズを合わせるのが待ちきれない。あぁ、英国にいたら、美味しいスティルトンが安く手に入るのに。しかし日本にだって臭いチーズの一つや二つあるはずだ。ここは奮発して、いや、いっそのことこちらのスーパーで見繕っていけば…。
Barでの助走から帰国後の算段まで、とにかくポルトのワイナリーを堪能したひと時だった。
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さて、浮ついた足取りで坂道を下りきった私たちは、往復チケットの恩恵にあずかってすぐさまゴンドラに乗り、ドン・ルイス一世橋の近くのチケットオフィスまで戻ってきた。 セラ・ド・ピラール修道院はそこからさらに坂を上がった丘の上で、街のおそらく一番の高台に建っていた。
修道院からはドン・ルイス一世橋も含めてポルトの街を一望できる。私たちは内部へ入り、円形の建物の上まで登ったけれど、外の広場からでも十分に美しい街並みを堪能することができる。修道院は現役なので入場しても見学できるところも限られているから、むしろ好きな時にこの広場へ来て景色を楽しむのが良いかもしれない。
ポルトはジブリ映画「魔女の宅急便」の舞台のモデルになった街の一つと言われているが、ここから街を見渡せばそれもうなずける。レンガ色の屋根や傾斜のある街並みに河原の風景、そして何より、目の前にはあの印象的なラストシーンに出てくるのとそっくりな橋がある。
ケルトやローマの時代からの歴史を持ち、ポルトガル発祥の地。 向こう岸でのラピュタ発見と言い、いまにも箒に乗った少女が飛んできそうなこの景色と言い、実にファンタジックで、魅力的な街である。 修道院の見学を終え、広場へ戻ってからもしばらく、私たちは暮れ行くポルトを眺めていた。
因みにこの後、勇んでポルトガル料理を食べに出かけたものの、人気の食堂で美味しかったのは突き出しとして出されたバカラウのフリット(揚げ物)だけ。名物タコリゾットも、B級グルメにしてカロリー爆弾の異名を持つフランセジーニャも、何とも言えずがっかりな味で、後から来た細身の日本人母娘が「量が多かったら無理に食べなくてもいいんだよ」と突き出しを回収されていたのには心から同情した。
所詮、一晩の滞在で美味しいものにありつこうとは都合が良いということだろう。また、再訪しなければならない場所が増えてしまったのだった。
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