ヨーロッパ人にも二種類いる。暑がりと、寒がりだ。
相対的に白人は寒さに強いとは思うのだが、例えばフランス人やドイツ人はこちらがびっくりするような薄着で平気だけれど、スペイン人などはちょっと気温が下がると死にそうな顔をする。
ちなみに、イギリス人は寒くても寒いとは言わない。なんでもないように耐えることこそが彼らの考える美徳だから。
ともかく、慣れないものには弱い、ということだろう。暑い国の人間ほど、ちょっと気温が下がるだけで大げさに寒がる。
ポルトガルもまた、夏は太陽が照り付け、一年を通して温暖な気候が続く国だ。
2019年10月の終わりに訪れた時も、気温は15度を下回るかといったところ。日本では、長く蒸し暑い夏を引きずった末に、秋を楽しむ間もなく暖冬を迎えようとしていた。そこからやってきた身としては、異国でやっとひんやりとした空気に触れ、嬉しくなった。
ところが、宿の主人は朝からしきりに、寒い、寒い、とつぶやく。渡していたパスポートを返しながら、鼻をすすっている。そういえば、昨夜、部屋まで案内してくれた青年もやたらとくしゃみをしていたな、と思い出す。
「風邪?」と聞くと、いや違う、植物に反応しているんだ、という。
「だから別に、変なウイルスにかかっているわけじゃないんだ」
そんなことは全然気にしていない、と伝えると、ちょっとほっとしたように笑った。そして、何年か前に日本へ行ったことがある、と言って、着ていたトレーナーをまくり上げて中のTシャツを見せてくれた。
「日本語だろ?」
確かに日本語だった。頷くと、満足そうに裾を下した。
「日本人が来るっていうから、絶対に確かめようと思ってたんだ。ちゃんと日本語で書いてあるってね。日本へ行ったときに買ったんだよ。ちょうど桜の時期でさ、綺麗だったなぁ」
確かに日本語だった。よく意味はわからないけれど。しかし日本語には違いない。彼が納得しているのならそっとしておこう。
それにしても、彼の症状は花粉症に違いないと思うのだが、桜の時期の花粉は大丈夫だったのだろうか。尋ねると、
「わかんないけど、まぁ最近寒いしね」
植物由来はどこへ行った。
それにしても、と、また目の前で身震いする宿の主人を見る。ちょっと寒がりすぎじゃないだろうか。
私なんて、ボア付きのパーカーの下は薄手のTシャツしか着ていないけど。と、妙な優越感を覚えながら、外へ出た。朝の外気はひんやりとして、しかし港町だからか適度に湿り気を帯びているようで、しゃっきりと気持ちが良かった。
道ゆく人々は皆ダウンジャケットの前をきっちり上まで閉め、マフラーの端を首元からその中へ押し込んでいた。そんな寒がりな人々を見ながら、私たちは坂道を横切って歩いた。
ポルトガル第2の都市であり、その名前の由来にもなったポルトは、ドウロ川を底に街全体が坂道のような起伏に富んでいる。建物もその斜めの坂へ並んでおり、一歩道へ出るとフラッと体が傾ぐほど、かなりの急こう配だ。
宿の前からのびる道を上りも下りもせずに横へ進んでいくと、瀟洒な並木道へ人が列をなしているのが見えてきた。思った以上に人が多くてちょっとひるむ。まぁこの気候なら多少待つのも苦にならないから良いか。チケットも事前にネットで購入済みである。最後尾についた私たちのあと、すぐに2~3組が後ろへ並んだ。
そのうち、地元の大学生がやってきて、列に並ぶ観光客相手にフィールドワークを行い始めた。「アンケートなんて答えないぜ」と言い放った私たちの前の頑固おやじ。それにもめげず、若いパワーで果敢に挑んでる。
だんだんにぎやかになっていく坂道に30分ほど並び、やっと建物へ入ることができた。ここが「世界で一番美しい書店」だった。
店構えもキラキラしていたが、店内は確かに魅力的だ。小さいけれど階段の造りが凝っていて、木工細工の装飾も細かく優美。本棚の直線と装飾の曲線をたどって上を見上げると、美しいステンドグラスに行き当たる。本屋というよりは、歴史あるお金持ちの貴族館の図書室のよう。
ただ、いかんせん人が多すぎて、ゆっくり建物内を見たり、本を探したりするのは難しかった。狭いスペースで何とかトラブルのないようにと入場制限をかけ、入場料まで取っていてもまだ、店内は身動きしずらいほどの人であふれていた。
美しく100年以上の歴史あるこの書店を一躍有名にしたのは、額に傷持つ魔法少年の物語だそうだ。あの魔法学校に出てくる寮へ続く階段のモデルになったとして、これほどの人気が出たらしい。ネットの評判を見るに、とにかく現在進行形で年々人が増えているようだった。
いくら綺麗でも、こんなに人がいてはたまらない。人ごみからはなるべく遠ざかるにかぎる。
そそくさと店を出る前に、せっかくだからとトルコブルーの表紙に金装飾の文庫サイズの本を買った。レジへ行ってチケットを見せると、入場料分を割り引いてくれた。また、出口では店員が立っていて、書店についてまとめた冊子と使わなかったチケットを交換してくれる。本屋としての体裁を整えつつ、来客の満足感を高めようという涙ぐましい努力が伺えた。
早々に美術品のような店を後にした私たちが「世界で一番美しい書店」に次いで向かったのは、「世界で一番美しい駅」だ。
「世界で一番美しい駅」は、実を言えば世界にいくつもあるのだけれど、こちらもその一つ。ちなみに、日本では金沢駅も選ばれた。
ポルトの街の中心部にあるサン・ベント駅は、大きさはそれほどでもないが、エントランスホールの四方にはめ込まれた青と白を基調としたアズレージョの明るく涼しげで、どこか神秘的な佇まいが印象的だった。駅舎はポルトガルの壮大な歴史絵巻から鉄道柄まで、およそ2万枚のアズレージョで飾られている。
アズレージョというのは、スペインやポルトガルで活用されてきたタイルのことで、中世からの歴史を持つ。ポルトガルの街を歩いていると、いたるところでこのアズレージョを使った建物を目にすることができる。ポルトでは特に、街中の教会や大聖堂の内外にたっぷりと使われていて、行き当たるたびに見とれてしまった。
以前、リスボンを訪れてから、私はこのアズレージョが大好きだ。なんといっても、綺麗なので見ていて楽しいし、人々の生活に根付いた様子が伝わってきて、ポルトガルの街歩き最大の楽しみだと思う。
ポルトの街も可愛いくて雰囲気があるけれど、比較的渋い感じもする。アズレージョを楽しむのなら、リスボンの方がカラフルで面白いかもしれない。隣り合う建物の一つ一つに異なる柄のものが使われていて、 街中で本当にさまざまなアズレージョを見ることができる。リスボンには世界最大のポルトガル・アズレージョの博物館もあり、ここはタイルの概念が変わるほど素晴らしいので、機会があれば是非おすすめしたい。
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さて、優美な駅舎をあとにしたら、上がったり下がったりぶらぶらと市内を散策しつつ大聖堂へ。
ポルトのまさに中心地にある市庁舎はご多分に漏れず立派な建物で、開けた大通りに面していてわかりやすい。ちなみに広場の橋にある黄色いポストには常に男の影がある。近づいてみると陽気な郵便配達員の銅像だとわかるのだけれど、早朝にポルトカードを出しに来た私たちは不審者に違いないと思って、道路をはさんでしばらく様子をうかがってしまった。
歩いているとたびたび見かけるのは路面電車だ。坂の多い土地にはこれがよく似合う。可愛らしいけれど年季の入った車体が、ちょっとレトロなポルトの街にまた映えるのだ。今回は乗らなかったけれど、あれを乗りこなせれば移動もだいぶ楽だろう。
街中にはまた、小さなサイズの地球儀や旅行用品の店、ポルトガルらしいファブリックを取り扱う店など、ついつい立ち寄りたくなる店がたくさんあった。ここで買った魚柄のエプロンは、年々料理好きになっていく母へのお土産にした。狭い店内にあふれるほど積まれた布の山の中から見つけ、10€ほどで購入したものだったが、モノも丈夫で愛用してくれている。
ポルトガルはコルクの一大産地でもあるので、コルク製品を売る店も多かった。3尾の魚が太い縄で連なった鍋敷きなど特に可愛かったのだけれど、またあとでと思っているうちに買いそびれてしまった。
目指していた大聖堂自体は、見晴らしの良さとアズレージョをふんだんに使った回廊がウリだが、何故かあまり記憶に残っていない。入口前の広場で誰かがバイオリンを弾いていたのを覚えている。朝は曇っていたのに、そのころになると日が差してきて、バイオリンの音色を聞きながらドウロ川をはさんで向こう側を見ると、青い空と雲の下に大きな看板がいくつか見えた。次の目的地、ポートワインのワイナリーだった。
広場で一休みした後、どうにか近道で川を渡ろうと行ったり来たりするうちに、ある時、ぱっと視界の開けた場所に出た。小高い場所から一気に川岸近くまで下っていくようなベージュ色の石階段で、脇には廃墟のような石壁が緑に覆われ、所々で青っぽい紫色の花が咲いているのが見えた。まるで童話の中にいるような、何とも言えずファンタジックな世界がそこに広がっていた。
下りたぶん登らなきゃいけなくなるのはわかっていたけれど、吸い込まれるようにその道を歩いていた。歩かずにはいられなかった。
「ラピュタだ、ラピュタ!」
興奮して半分ほど駆け下りた。もう半分はふわふわしながら踏みしめた。あっという間に終わり、あとははるか頭上となった橋をめざしてひたすら登ることになったものの、一瞬でアドレナリンが大放出されたのは間違いない。
こういう光景に出会えるから、旅はやめられない。
一転してヒィヒィ言いながら階段を上がっていると、子供を乗せたままのバギーを持った男性に追い越された。日本で‘育メン’をみるとたいてい爽やかさを感じるのだけれど、世界のパパたちはそれに加えて非常にワイルドだと思う。
以前、アイルランドの湿原を訪れた際、バックパックの上に子供を乗せてトレッキングするパパを見た時には驚いたものだ。子供を連れて歩いたり旅することについて、彼らは疲れるとか大変だということを断念する理由にはしないし、はなからそういうものだと考えているか、あるいはそれを克服することに喜びや達成感を抱いているように見える。そういう、自然体な力強さは、素直にいいなぁと思う。
育メンに負けじと階段を登り切り、川を渡るドン・ルイス一世橋に辿り着いた。橋の上は見晴らしが良く、路面電車の線路が通っていた。後で気が付いたのだが、橋の下には車と人が通る道があったので、あのまま川岸まで下りてから橋を渡ることもできたかもしれない。
ともあれ、川の向こう岸には丘の上にポルトガルの歴史を湛える修道院そびえ、そして斜面にはポートワインのワイナリーが軒を連ね、私たちを待っていた。
後半へ続く
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