女王陛下とレプラコーン

アイルランドで妖精を探す
コークのイングリッシュ・マーケット、女王の訪れた魚屋

世界各地を訪れると、折に触れ、人間が巻き起こしてきた戦禍を目の当たりにする。あらかじめそれがわかっていて、あるいは歴史の一部として学ぼうと意識していることもあれば、本当にふとした瞬間に、沁みるように実感する機会がある。

戦争の傷跡や、悲惨さを後世に伝える場所は日本にも世界にも数多く残っていて、前者のような気持ちでその地を訪ねることも貴重な経験と言えるだろうけれど、紛争といったことを改めて考えた時、私の脳裏に浮かぶのは、一人のアイルランド人の言葉だ。

アイルランドをぐるりと一回り、旅したのは、社会へ出て間もなくだった。

東北の震災から1~2年たった頃で、収まらぬ福島原発の被害や人々の思惑と衝突に、心底辟易していた。日本という国の理想や伝統、そしてそれを取り巻く環境を、敬うべきものと信じてほとんど疑わなかった学生時代から、その終わりと同時に災害を巡ってあらわになった現実の醜悪さ、目に見えない物質を警戒しなければならない絶望感に、心が追い付かなかった。

就職氷河期の末期にとどめを刺すような出来事のなか、進路にも迷いが出てしまっては、正規雇用の職に就くこともできなかった。国内で働くこと自体にまで、不信を抱える自分がいた。この島国を取り巻く閉塞感から、とにかく逃げ出してしまいたかった。

逃避先にアイルランドを選んだのも、自分にとってはファンタジックな異世界を象徴する場所だったからだ。荒涼とした湿地、どこまでも続くヒースの丘、色濃く残るケルト文化、幻想的な木々の映る湖面に、妖精の通り道…昔から好きだった英国小説の世界がそこにあった。

今ではのどかで一人旅も安心してできるアイルランドも、つい二十数年前までは根深い紛争の只中にあった。現在も英国領である北アイルランドと、独立した国家としてのアイルランド共和国が併存するアイルランド島そのものに、その痕跡がうかがえる。

アイルランドと英国(正確にはイングランド)との確執は長く複雑なもので、ノルマン人とアングロ・サクソン人との諍いであり、カソリックとプロテスタントとの対立であり、そして歴史上で宗教がたびたびその傲慢さを利用されてきたように、清教徒によるアイルランド人虐殺の結果だった。イングランド人による長年の不当な支配と圧政が、アイルランド人の心に深く暗い憎しみを育てたことは言うまでもない。

アイルランド独立後も、北アイルランド六州が英領とされたために、アイルランドの全土独立を目指す過激派によるテロが頻発した。1998年にベルファスト合意によってアイルランド共和国がこれらの領有権を放棄するまで、アイルランドの治安はすこぶる悪かったらしい。

今でこそ、世界各国で日常的に意識されるテロの脅威だが、当時の欧州でテロといえば、ほとんどアイルランドの専売特許と言っても過言ではなかったという。IRAといえば、今でも過激なテロ組織として覚えている人がいるかもしれない。私はもはや知識や娯楽の世界でしか認識していないけれど、祖母などは、紛争下のアイルランドを訪れた時の様子が忘れられないらしく、一人旅をすると告げた時には大変心配したものだった。

紛争が一応の収束を見せてから十五年たち、アイルランドは「世界で最も住みやすい国」、「女性が最も安全に旅行できる国」へと大いなる変貌を遂げていた。

実際、私も旅行していて大いに感じるものがあった。紀元前からの歴史があり、欧州の国としての魅力を備えながらも、すれていなくて素朴で親切な人々。美しい自然の景観と相まって、まさにおとぎの国を歩いているようだった。首都ダブリンを除いては人も多くなく、本当にのんびりしていて、たまにチンピラや気の毒なご老人を見かける以外、一人で旅していても危険を感じることはまずなかった。

アイルランド第二の都市、コークに着いたのは、ちょうど旅の折り返し地点に差し掛かった頃だった。アイルランドの美食都市と聞いていたので、ここでは少し長めに滞在する予定で、費用を浮かせようとホームステイのような、今で言う民宿のようなところを手配していた。

その家の家主が、ショーンだった。

彼はとにかく絵に描いたようなアイルランド人で、日本人の感覚から言うと、ひょうきんでちょっと怪しいおじさん。一杯引っ掛けてきたような、だらんとした話し方で、まん丸の目をパチパチ見開いていたかと思うと、しょっちゅう眠そうに半眼になったりした。

ジョークのネタになるような典型的なアイルランド人のご多分にもれず、ショーンは酒好きだった。いつも素面かどうかわからないような感じがしたし、私が彼らの家で過ごした数日間のうち半分は仲間と昼間から飲んできて、半分は自宅でパートナーのジュリアと喧嘩していた。

ジュリアはドイツ人で、毎日きっかり、朝から夕方まで働きに出ていた。明るいタイプではなかったけれど、しっかりした印象の女性だった。ともに四十代前後だろうということくらいしか共通点のなさそうな二人は、余っている部屋を学生や旅行者の下宿として貸し出すことで多少の収入を得ていたが、そのビジネスや二人の生活が果たしてうまくいっていなかったのか何なのか、夜になるとたいてい大きな声で言い合いを始めるのだった。

これが始まると、私たちはいたたまれなくなって、皆でキッチンに逃げ込んで洗い物をしたり、早々に各々の部屋へ引き揚げたりした。私を含めて三人いた下宿人は皆二十代前半の女子で、こそこそ二人の様子を伺うさまは、まるで家庭内不和にとまどう子供のようだった。幸か不幸か、おかげですぐに他の子と打ち解けることができた。

今でも、あの二人はどうなったかなと思う。ショーンは、実は意外に読書家で哲学的なところがあり、愛すべき人ではあったけれど、甲斐性はなさそうだし、酒飲みのしょうがないおじさんだった。憎めなくても、ずっと一緒にはいられないこともある。あまり笑わず、ちょっと疲れたようなジュリアの顔を思い出すと、やっぱりうまくいかないような気がした。

ショーンの良さや正直さと言うものは後々わかってくるのだが、出会ってややしばらくは、この飲んだくれのレプラコーン(アイルランドのいたずら好きな妖精)みたいなアイルランド人を信用して良いものかどうか、私は本気で疑っていた。

コーク生まれコーク育ちのショーンは、私が到着した翌日に、自分の街をぶらぶら案内すると言った。ついでに、「ATMの場所も教えてやる」と言われて、不審さはピークに達した。

ATMって何?いったい何をさせるつもり⁈

日本人らしい愛想笑いでお礼を言いながら、どうやってATMから逃れるか、家から街中までの道のりでは頭の中をそればかりがグルグルと回っていた。観光案内は意外にまともで、四角くこぢんまりとまとまったコークの中心街を散歩するように一回りするあいだ、時折立ち止まって、簡単な解説のようなものを付け加える。しかし、疑心暗鬼に陥った身では、通りがかりに友達に挨拶する様子にすら、追い込まれるような恐怖を覚えた。

途中、いよいよ道端のATMの前まで来たところで、

「さぁ、これで宿泊費が下せるな」

とショーンが言った。

何のことはない、彼は下宿代を先に受け取りたかっただけだった。催促なのか、単に私がまとまった現金を持っているように見えなかったのか、街を案内するついでに集金しておこうと思ったのだろう。顔が火照ってくるのを感じながら、私は逡巡した。実のところ一瞬だったかもしれないが、体感としてはずいぶん長く感じられた。今回、ほとんど初めてとなる長期の一人旅で、キャッシングをする予定はなかった。カードの使えない時用の現金はまとめて封筒に入れ、肌身離さず持つバッグの中敷きの底に隠し持っていた。

羞恥と混乱と、それからまだぬぐい切れぬ不信感のなか、私は自分でも奇妙な唸り声で何とか「必要ない」というようなことを言って、ガサゴソとバッグのなかを探り、現金を取り出して見せた。まん丸の目を見開いて大げさに驚きの声をあげるショーンに、どっと汗をかきながら数えたお金を手渡すと、彼は上機嫌でそれを受け取り、早速、案内を再開したのだった。私は「領収書とかないのかな」などと往生際悪く考えながら後に続いた。

ジェットコースターに乗った後のように鳴っていた鼓動が落ち着いたころ、ショーンが最後に連れて行ってくれたのが、ちょうど街の真ん中に位置するイングリッシュ・マーケットだった。もともとはアイリッシュ・マーケットと言うのも別にあって、それぞれがそれぞれの人々のための市場だったらしいが、今でも残っているのはイングリッシュ・マーケットのみ。特徴的な噴水を真ん中にして、放射線状に店が並んでいる。

マーケット好きな私としては、早速ゆっくり見て回りたいところだったのだけれど、中へ入るとショーンがおもむろに話し始めた。

「ここにはな、ちょっと前に女王が来たんだよ。女王がアイルランドに来て、コークのこのマーケットまで訪ねて来たんだ」

2011年、英国のエリザベス女王はアイルランドへ歴史的な訪問を行った。英国王がアイルランドの地を踏むのは同国独立以来初めてで、実に百年ぶりのことだった。和平のしるしとして歓迎する向きもあれば、訪問直前に爆発物が見つかり、当日には、女王が英国からの独立のため戦った兵士たちに花を手向ける記念碑の、すぐ近くでデモ隊のシュプレヒコールが上がるなど、緊張感に包まれた出来事でもあった。

通りいっぺんのことは、私も事前に何かの記事で読んでいたが、コークの市場に来ていたとまでは知らなかった。

「俺たちは長い付き合いだし」

わかるだろう?と、ショーンは続けた。

「女王が来るってなったとき、それこそ直前まで、みんなこうさ」

そう言って、両手の拳を握り、ファイティングポーズをとって見せた。

「だけどな、どうだったと思う。実際女王が来てみたら、みんな喝采を叫んで、ようこそ来てくださったって、一目見ようとここへ押しかけたんだ」

山と積まれたムール貝の横にレモン、奥の壁には女王の写真が大きく引き伸ばして飾られた魚屋の前まできて、ショーンはその時の情景に思いをはせるかのように、しばらくぼんやりした笑顔まま押し黙った。それからふっと真顔になって、ポツリと言った。

「それでいいんだよ。そうだろ?もう充分だ」

そしてニヤッと笑い、軽い調子で

「(That’s) Life!」(これはショーンの口癖で、「それが人生さ」と言うような意味)

と言って、もと来た道を戻っていった。

私はその時、なんだか、嬉しいような少し切ないような、不思議な感動を覚えた。

何が「充分」だったのか、正確にはわからない。「充分戦った」か、「充分犠牲があった」のか、「充分に時が経った」と言うことかもしれないし、あるいはその全てかもしれない。

しかし、長い間の憎悪やわだかまりが、溶ける瞬間も確かにあるということを目の当たりにしたように感じた。そして、潤み始めた氷を最後に溶かす太陽の如き存在として、英国民のみならず愛されたエリザベス女王の偉大さに感じ入った。人を癒す時の流れと、人々のよりどころとなる象徴の、どちらもかけがえのないもののように感じられたのだった。時には理屈でないもののほうが、人の心を強く打つのだと思えた。

今年、2022年9月8日、英国女王エリザベス二世はスコットランドのバルモラル城で崩御した。老衰だった。前日まで公務を行っていたという。

「女王の時代は栄える」というジンクスが真実かどうかはともかく、私が生まれてから憧れとともに親しんできた英国は、ずっとかの女王の国だった。七〇年を超える在位と軌跡に、心から敬意を表したい。

コークのイングリッシュマーケット。2階はカフェ。

女王の訪れた魚屋

美味しいサンドイッチ屋

シーフードを使った総菜屋。イイダコの酢漬けが美味

イングリッシュマーケットの入り口

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