アイルランドとイタリアと日本で 上

アイルランドで妖精を探す
アイルランド、コネマラ地方のカイルモア修道院敷地内に建つ小さなチャペル。美しくも切ないロマンスが詰まっている。

自慢するようなことではないのですが、昔から人見知りするほうでした。

今も本質は変わりません。

子供の頃は自分から気軽に話しかけるということもできなかったし、話す子がいなければいないで、1人で本を読んで過ごすのに特に不満はありませんでした。

そんなことで、新しい環境になると、友達ができるまでに何年もかかることもありました。

明るく社交的な母に似た妹とは対照的でした。黙っていても人が寄ってくるような様子を見ると、若い頃は「羨ましいなぁ」と思ったこともありましたが、転勤族の家庭に育った母に言わせれば、それも「努力の結果」。

一人は寂しいから。その場に早く溶け込めるように。友達が欲しければ努力する。

そうかなぁ。だとしたら偉いな。

納得したようなしないような。感心しながらも、私にとって「友達作り」という作業はやはり億劫で、結局そのまま。 何となくわざとらしいような照れくささもあり、それをおしてまで行うほど寂しいと感じることがないのも事実でした。

そのうち、必要に迫られて当たり障りのない社交術が多少身に付き、人間関係の息の抜き方もわかるようになってきました。しかし、依然として友達は少ないままです。かといって、人といれば楽しいこともわずらわしいこともあり、自分にはこのくらいで十分だと思ったりもするようになりました。数こそ少ないけれど、良い友人に恵まれたのも幸運でした。

思春期の頃や学生時代こそ「変わらなきゃ」「努力しなきゃ」という気持ちが強く、申し訳程度にもがいた時期もありましたが、大人になればなるほど、世界は広がり、同時に自分の世界は心地よくまとまっていくもの。

沢山の人とつながったり皆と仲良くしたり。そういう呪縛から解き放たれ、仕事はともかくプライベートでは波長の合う人といられたら良いというのは、実際気が楽です。

世間一般でも、大人になってからは友達を作るのが難しくなるものらしいですが、日頃交友関係を広げる積極性も気概も乏しい身としてはなおさら。

しかし、別に人を拒んでいるわけでも嫌いなわけでもありません。人とつながる楽しさも、もちろんあります。自主的に切り開いていくほどの情熱は持てずとも、何かのために、どこか開けておきたい、とは思っていて、人からは省エネ人間と呼ばれております。

すると、時には思いがけない出会いに巡り合うことがあります。

特に、1人旅をしているとき。

一人で旅をしていると、何をするにも自分から誰かに働きかける必要があります。母国語でおしゃべりすることもないので、外からみても話しかけやすい。もし海外に滞在する機会があったなら、同郷の友人と楽しむのも良いけれど、是非、一人でいる時間を作ってみてください。

私には一つ、旅先で偶然つながった友人との縁があります。

彼女、サラと出会ったのは、何年も前。5月のアイルランドを一人巡るなかで、ゴールウェイという小さな川沿いの街に滞在していた時のことでした。

ゴールウェイはとても可愛らしい魅力的な街で、アイルランドの中でも個人的に思い入れのある場所なのですが、サラとの思い出があるのはここではありません。

というのも、ゴールウェイからは周辺にあるモハーの断崖やコネマラ、バレン、アラン諸島といった観光地へのバスツアーが多く出ていて、このうちの一つに参加した際に彼女と知り合ったためです。

ツアーは満員。お互いに一人で参加していたので、自然と隣の席で移動するようになりました。そのうち、イタリア人として生来のおしゃべり好きな彼女につられるように、会話が弾んでゆきました。

この時、景気の悪いイタリアで勤めていた会社が倒産して職を失い、国の制度を利用してアイルランドに語学留学していたサラ。私もまた、学生生活の終わりを震災に見まわれ、その後の日本を覆った重苦しく抑圧された空気に耐えられず、逃れるようにしてアイルランドを訪れていました。自分の意志でどうにもならないものに圧倒され、流されてその場にたどり着いたような、お互いの境遇にも似通ったところがあったのかもしれません。

美味しいものが好きでイタリアの食文化に興味のあった私と、日本好きな妹を持つ彼女とで、話題にも事欠きませんでした。

バスで走る大地のいたるところに咲く黄色いハリエニシダの花が、その香りから「ココナッツフラワー」と呼ばれることがあると教えてくれたのも、彼女でした。

「‘ゴース’って言うよりも可愛いと思わない?」

二人で歩いた道端の花の匂いが、今でも蘇ってくるようです。

アイルランドの原風景を残すコネマラを行き、映画「静かなる男」の舞台となった美しい村コングを訪ね、そしてロマンティックなカイルモア修道院へ行きつく頃になると、私たちはいよいよ意気投合していきました。

「アイルランドは本当に美しいところよね。昔読んだ小説の世界にいるみたい」

湖越しに見える修道院にうっとりして歩きながら、愛する妻のためにここに城を作った英国人の富豪に、二人して思いをはせていた時、彼女が言いました。

「何ていう小説?」

「イギリス人の書いた昔の物語で、ロマンスだったな。ちょうどこういう景色のイメージで、主人公の名前がタイトルになってて、ええと…」

「ジェーン・エア?」

「そう、それ!とっても素敵なはなし」

「いいよねぇ。嵐が丘はどう?世界観が似ているけど…」

「私はジェーン・エアの方が好き。落ち着いていて暗くないし」

「わかるわかる」

「あれ、エミリとシャーロット、どっちがどっちを書いたんだっけ?」

「えーと、シャーロットの方がお姉さんだから…ん?あそこは二人姉妹だったかな?3人だった?」

「あ、ねぇねぇここ!マーガレット(富豪の妻)の死後に夫が建てたチャペルだって」

「うわぁ、かわいいけど、切ないね~」

「本当にね。でもこんなに思ってくれる人と巡り合ってみたいなぁ」

そうしてまたひとしきり、二人でロマンティックな時間に浸るのでした。

彼女はまた、夢中になると時間を忘れがちになる国民性を気にしていて、

「いい?あなたは私のクロックになってね、お願いよ」

といって、たびたび私の腕時計を指さすのでした。

それを聞いていたアメリカ人に「イタリア人と日本人、足して2で割ったらちょうどいいかもね」と笑われたのも良い思い出です。

異国で育って、会話もお互いにつたない外国語。それでもどこかテンポが馴染んだのでしょうか。おしゃべりだけれど、けして一方的ではなく、知的でちょっと抜けているところもチャーミングな彼女との話は尽きませんでした。

バスの中ではおしゃべりに夢中になり過ぎて、「女の子たち、ちょっと私の話をきいてね」とガイドに注意されたほど。

ツアーが終わると、サラはその日のうちに滞在先のダブリンへと戻らなければなりませんでした。「また会いましょう」と言い合って、ゴールウェイのバスターミナルで慌ただしく連絡先を交換して別れました。

その後も私たちは時折メールやSNSで他愛ないやりとりをしていました。翌年には私がスコットランドへ留学することになり、物理的な距離も縮まって、イタリアへ寄ることがあると時間を見つけて会うようになったのでした。

彼女の実家にもお邪魔する機会があり、サラの姉妹とも仲良くなりました。

数年後、サラの結婚式の招待状が届いたときには、私は既に日本に戻ってきていましたが、親愛なるイタリアの友人の幸せを祝福しに行くことに、何の迷いもありませんでした。

に続く

城を建てた富豪の妻・マーガレット
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