イタリアのチェファルという街をご存知だろうか。シチリアはパレルモの先、海岸沿いにある、小さいけれどとても美しい都市だ。古くはギリシアに起源を発するという。名作「ニューシネマパラダイス」の海岸シーンのロケ地として記憶している人もあるかもしれない。
もう十年以上前のことになるが、南イタリアからシチリアを巡るパッケージツアーの際に、少しだけ立ち寄ったことがある。ひとたび足を踏み入れた瞬間から、とにかく、どこもかしこも絵になる景色が広がり、異国情緒にあふれていて、まだ学生だった私の目には眩しいばかりだった。今でも、記憶の中の街並みには、七色の海と降り注ぐ太陽の光でキラキラとエフェクトがかかっているようだ。
南イタリアというのは、あまり交通の便が良いとは言えない地域で、日本人の個人旅行客は多いとは言えなかった。バスに乗っていればどこへでも連れて行ってくれて、大変快適で楽ではあったけれど、やはりツアーというのはできないことも多い。チェファルは当時からイタリア人に人気のあるリゾート地ではあったものの、大きなホテルがなく、団体客が泊まるのが難しいということだった。午前中にぐるりと街を見て回ってお昼を食べた後、すぐに移動するほかなかったのが名残惜しかった。
こんなところで数日でも滞在して、海と太陽とイタリア料理を楽しめたら、ただのんびり過ごせたらなぁと、若い身空で思ったものだ。チェファルの街で昼食をとったリストランテが、これまた特別に印象的なところだったからなおさらだ。
イタリアの多くの老舗リストランテがそうであるように、入口は小さくて薄暗い。しかし中へ入れば、つやのある木のテーブルにシミ一つないクロスがかかり、真っ白な皿とナプキン、良く磨かれたグラスが並ぶ。店内をずっと奥まで歩いていくと、パッと視界が開けた先に真っ青な海が広がっていた。客席のすぐ目の前に海が迫っていて、なんなら、打ち付ける波しぶきがかかるくらいの近さ。地中海を感じながら食事のできる、贅沢な席だった。
さらに、ここで出された料理にまた唸らせられた。極めてシンプルなのに、驚くほど深みがあって、文句なしに美味しい。イタリアンは大好きで自分でもよく作るし、この後も、度々イタリアを訪れる機会に恵まれ、美味しい思い出はたくさんできた。ただ、今でも、この店の料理が、まさにイタリア料理の真髄を現していたように思う。
出されたのは、シンプルなトマトソースのペンネと、レタスに塩とオリーブオイルをふり、レモンを絞ったもの。それに、魚介のフリット。なんの変哲も無いメニューだ。なのに、ため息が出るほど美味しかった。
トマトソースのパスタなんて、何度も何度も何度も作っているけれど、高級なパンチェッタを入れたってあれほどの旨味は出ない。ちぎっただけのレタスに揚げたエビが、あんなにたまらない味がするなんて、いったいどういうことだろう。
食材の鮮度と、土地に根ざしたものの持つ年季の入った調理には、叶わないということだろうか。何と言っても、紀元前からの歴史をもつ古い街だ。それほど昔から食べているのと同じものが、すぐに再現できると思う方が間違っているのかもしれない。
素材を生かしたシンプルな料理が、特別美味しい。そんなところは、どこか和食と通ずるものがあるようにも感じられる。
「アンコーラ?(もっと?)アンコーラ?(もっと?)」
とニコニコしながらサーブしてくれたあのおじさんに、恥じらいを捨ててお代わりを頼むべきだった。
食事の最後に出てきたデザートは、オレンジ。これは自分で切り分けて食べる。ちゃんとしたレストランで、普通は出てきようもないものだ、オレンジを丸ままなんて。だけど、この旅行の中で一番多かったデザートが、まさにこれだった。それがまた美味しいものだから、文句の言いようがない。
一口食べるたびに、舌も身体も喜んでいるのがわかるランチだった。
考えてみれば、この時の南イタリア旅行では、数々の名所とともに、その後とりこになる美味しい名物との出会いを果たしていた。シラクーザでアランチーニを貪り、タオルミナでガイドの目をかいくぐってピスタチオのジェラートを買い食いし、アルベロベッロでは苦しくなるほどオレッキエッテを食べた。柔らかくなるまで遠火の壺で煮込まれた蛸を出してくれたのは、アマルフィ辺りのホテルだっただろうか。トマトの味がしみて、あぁ、今でも思い出すと唾が出る。
どの思い出も、美味しい記憶とセットになると、途端に生き生きするから不思議だ。そういった意味で、南イタリアの旅の記憶は、どこをとっても輝いている。
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