至高のジェラート

イタリアで食い倒れ
CARABEのジェラート。暑くて溶けそうな夏のフィレンツェで食べた。

2019年の夏も、蒸し蒸しとした残暑の候。ここへ来ての話題としては、なんだか微妙に外れているような気もするのですが。

夏に手を伸ばさずにはいられないのが、氷菓のたぐい。

アイスクリームも美味しいし、暑さが厳しいほどにかき氷も捨てがたい。このところ猛暑の影響もあってか、かき氷の進化が止まらないと聞くが、個人的には色々とメニューがあっても何故か宇治金時に目が行ってしまう。蝉の声と照りつける太陽、ムンとした暑さとセットになった、幼少からの夏の記憶に染み付いているのかもしれない。

染み付くと言えば、大学生になって伊勢で赤福氷を食べた時の、あの、小豆のあまじょっぱさとお餅のねっとり感が冷たい氷に溶けていく感動も忘れられない。熱くなった身体にしみた。

とはいえ、今回書きたいのはかき氷についてではない。何せかき氷はおそらく日本から東南アジア辺りにかけての物だろうから、自分の国でも十分に美味しさを味わえる。逆に欧州では文化としてのかき氷は存在感が薄い。ソルベやシャーベット、飲み物としてのフラッペなどはあれど、ただの氷を器いっぱいに食すようなことはないのだろう。

話したいのは、ジェラートだ。

昇天しそうなほど美味しい、唸るしかない、イタリアのジェラートのことを記しておきたい。

チョコレートとレモン、マンゴーとヨーグルトのジェラート

イタリアで物を食べていると、食材はもちろん美味しいのだけれど、時々それ以上の何かを感じることがある。何かと何かを足しているだけだと思っていたら、それがいきなり予想をはるかに超えて何十倍にもなることが。材料は分かっているのに、帰って家で作ってみても絶対にこの旨さは出ない、というような。

他の国にも同じように感じさせる食べ物はあるのだろうが、味覚の感動を呼び覚ます場所としては、イタリアは他に追随を許さない、 年季の入った食の都だと思う。

私が初めてイタリアへ行ったのは、暑い暑い7月のことだった。

ローマから入って1泊し、電車でフィレンツェへ移動して幾日か滞在した。その後、日本でも流行り始めていたアグリツーリズモというのを体験するためにトスカーナの山奥へ分け入ったのだが、街も山も、とにかく暑かった。

欧州と言えばカラッとして涼しいところと言うイメージがあったのに、カフェでは蚊に刺されるし、日中歩き回ると倒れそうなほど汗まみれになった。

そんななか、街歩きの活力をくれたのがジェラートで、とにかく休憩の度にジェラート屋にお世話になった。

特に、泊まっていたアパートのほぼ斜め向かいにあった「CARABE’カラベ」というお店には毎日通った。ここのピスタチオジェラートが最高に美味しかったのだ。

始めて食べた時の衝撃を今でも覚えている。少しの塩気と豊かな甘み。さらりとしていてすぐになくなってしまう。ほんのりとナッツの香りがして後味がよく、個性がある訳じゃないのに忘れられないほど美味しい。

ここのジェラートはどれもしっかりした味なのに食べやすくてぺろりといけるが、ピスタチオはやはり格別だと思う。

食べ物に感動すると夢に出てくることがあるのだが、この夜もやはり見た。ピスタチオという宝を探し求めて学校中を駆け回るファンタジーな夢だった。

フィレンツェに行くたびに、必ずここへ行く。けれど、目当てのピスタチオはいつでも食べられるわけじゃない。毎日ある訳ではないらしく、頻度も二日に一回とか1週間に一度とか、店の人によって言うことが違う。そもそも南イタリアからピスタチオが入ってこなければ作れないとかで、夏以外に行くと食べられないことの方が多いくらいだ。

他の店のピスタチオも試してみるのだが、濃厚だけれどもったりしすぎていたり、素材にこだわるあまりにぼんやりした味で物足りなかったり、いまいちビビッと来なかった。

もちろん、他のジェラテリアもほとんどが文句なく美味しくて、おまけに安い。ユーロ導入後の物価上昇でもれなく値上がりしたとはいえ、日本に比べたらまだ安い。

最近になって知ったのだけれど、フィレンツェはジェラート発祥の地と言われているらしい。どうりで、あちこちにチェーンから個人店まで様々な店が賑わっている。

イタリア人のかしまし3姉妹がフィレンツェまで会いに来てくれたときに、美味しいジェラテリアの見分け方というのを伝授してくれた。さも重大なことであるというように真剣なまなざしで人差し指を立てて曰く、

「ジェラートはね、外気に触れちゃダメなのよ。酸化しちゃうでしょ?ショーケースに積み上げて盛り付けているようなのはまずナシね。できればふた付きでしっかり温度管理しているところが良いわ」

とのこと。

彼女たちは散策の間、ジェラテリアを見つけるたびに、この評価基準に基づいて時に堂々と太鼓判を押し、時にひそひそと批評した。そして、地元っ子に情報収集してきたと言って、“最高に美味しいはず”のお店に連れて行ってくれた。ヴェッキオ宮殿の裏側にひっそりとあったその店では、なるほど、確かに全てのジェラートにしっかりとふたがされていて、どこに何があるのかはお店の人にしかわからないほどに徹底管理されていた。

確かに美味しかった。さまざまなフルーツのフレーバーがあり、それぞれの素材の味を生かした製法が売りらしい。壁に書かれたメニューから選んで店員に言うと、均等に並んだアルミのふたの一つをさっと開けてジェラートをすくい、お洒落なカップに盛り付けてくれる。

確かに美味しいのだけれど、ガラスケースをのぞき込み、色味で味を創造しながら頼むという醍醐味には代えがたいような気もする。口に入る時点での気分が、もう違うのだ。“味だけで勝負”というのはなかなかに難しい。 それに少なくとも、ここで食べたイチジクのジェラートが夢に出てくることはなかった。

もう一つ付け加えるなら、シニョリーア広場へ続く大通りに面したモリモリカラフルなジェラテリアのも、ちゃんと美味しかった。

シニョリーア広場近くの大通り沿いで買ったジェラート。 トルタ・イングレーゼ味。ヴィクトリアケーキのようで美味しかった。

Carabe’のジェラートは、ふたはついていないが、盛り上がってもいない。顔を出すジェラートは昼前から夕方にかけてだんだんと減っていって、やがて底をついたものから下げられて、ケースの中は穴ぼこだらけになる。

老舗らしく、お店も地味だしジェラートも飾りつけなんてものは味もそっけもないが、人は途切れず入っていく。ドゥオモからアカデミア美術館へ行く道の途中にあるとわかっていても、見逃してしまいそうなほどの外観。それでも、フィレンツェに来たらこの店に行く価値があると思う。

飾り気ない街のジェラテリア。こういう店へ行くと、食を楽しむイタイタリア人の底力を感じる。昔から美味いものを食べていたんだなぁと思う。

日本だって、清少納言女史によれば平安時代には削り氷を食べていたというはなしだけれど、ローマ時代から乳や蜜入りのフロートを楽しんでいたという民族にはかなわない。

ローマ。ホテルの従業員おすすめのジェラテリアで。

イタリアでたらふくジャラートを食べてから、日本へ戻ってきてアイスクリームを口にしても、何だか味気なく感じられた。ハー〇ンダッツですら美味しいと思えなくなっている自分に軽く戦慄し、せめてとイタリアにはなかった抹茶味を食べて気持ちを慰めたものだ。

ハーゲン〇ッツがいまいちだなんて、普通に考えて嫌な奴である。そんな奴にはなりたくないので、人には言わないようにしたけれど、あの夏中、心の中ではずっと思っていた。やっと言えて今、正直少しほっとしている。

あれから10年以上たって、日本にも美味しいジェラート屋さんが増えただろうと思う。少なくとも、ジェラートと言う言葉とジェラートを売る店舗は確実に浸透し、増えている。

でも何か違う。

きっと最高の食材を使っていて、温度管理にも気を配っているだろうという高級なジェラートショップで食べても、あの感動はない。

今だに、カラベのピスタチオを超えるジェラートには出会っていない。日本でも、海外でも。

やはりあそこへ行って、食べるしかないのだろうか。

店では南イタリアから原材料を取り寄せているだけあって、南風にジェラートをブリオッシュに挟んで提供する、なんてことも、以前はやっていたらしい。今度行った際には、是非復活していてほしいものだと思う。

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