アイルランドとイタリアと日本で 下

イタリアで食い倒れ
イタリアはモデナ、小さな街中の教会でのウェディング

旅先のアイルランドで出会った、イタリア人のサラ。

昨秋、そんな彼女が結婚することになり、イタリアから国際便で届いた招待状を手に、実りの季節のモデナへと飛びました。

お昼前、夫となる新郎がコミュニティー関係の仕事に就いているという教会で挙げた式は実に盛大で、美しく厳かながら、集まった人々と一緒に祝おうという心のこもったものでした。

モデナの駅から車で30分ほどの小さな街の真ん中に、式場はありました。日本人の感覚からすると、そのコミュニティの規模にはちょっと似つかわしくないような立派な教会でした。

明るくロマンティックな壁画に覆われた内装は、親族の友人だと言う新鋭の女性フラワーデザイナーによって、一層華やかに飾り付けられていました。

開場を待つ間に知り合ったアイルランド人の招待客と一緒に教会へ。

「花嫁?花婿?」

「え?ええと、サラの…」

「じゃあこっちね」

入口でチャキチャキした中年の女性に振り分けられ、向かって左側の列に腰を下ろしました。

するとすぐさま、整った顔立ちに真っ赤な蝶ネクタイをした青年が声をかけてきました。

「インターナショナルチームだね?サラに聞いてるよ。弟のロベルトだ。よろしく」

彼は一人一人と握手すると、楽しんでね、と言い置いて爽やかに去って行きました。

飴色の木でできた座席に置いてあった式次第をペラリとめくると、左にイタリア語、右に英語がプリントされていました。思っていたよりも本格的な様子に緊張してきたのを鎮めようと、何とはなしにそれを目で追っていると、サッと教会の正道に日が差し込みました。

一瞬、ざわざわが止んだところへ、エド・シーランの“パーフェクト”が聞こえてきます。なんと、のびやかに歌ってるのは先ほどの好青年、ロベルト。声楽をかじったことがあるという彼の歌声はなかなかに心地良く、思わず緊張を忘れて聞き入ってしまうほどでした。

やがて日の光をバックに入場してきた花嫁を見ながら、私は彼女と恋の話をした時のことを思い出しました。

恋バナといっても、私はもっぱら聞き役で、出会った頃の彼女は年下の彼氏と別れたばかりの傷心を引きずっていました。これがまた、話を聞くだに不真面目な男で、サラが年上だからと振ったくせに、未練がましく思わせぶりなことを言うらしいのです。

「良い男の絶対数が少ないので良い女は余っている」「モテるのは良い女じゃなくて可愛い女」という一方的に偏った僻み根性をもつ私としては、イタリア人おまえもか、と言った心境で、「やめろやめろそんなもの、もったいないから」と内心思っていたのでした。

年下男の話を聞かなくなったと思ってからしばらくして、ボローニャで会った時、「実は気になっている人がいる。飲み会の席で、忘れたジャケットを届けてくれて…」また会うことになったの、とはにかんでいたサラ。

今度の人は年上で、ちょっと固そうだけど、真面目らしい。

そのうち、「付き合い始めた」「一緒に住んでいる」「家を買った」「プロポーズされた」…ゆっくりと、着実に愛を育んでいく様子が微笑ましく、羨ましく思えました。

新郎と会うのはこの時が初めてでしたが、頭頂部の薄いのも気にならないくらい、ちょっと頑固そうで、しかし誠実さのにじみ出るような青年でした。

一度結婚したら一生添い遂げるのがカソリック。生粋のイタリア人として、サラもこの生真面目そうな男性と生涯をともにするのでしょう。

大切な友達の結婚式ではいつも、幸福な顔と素敵な式に高揚する気持ちと、同時にほんの少し、置いて行かれるような切なさを感じます。もちろん、幸せになって欲しいという思いですぐにかき消されてしまうほどのものですけれど。

やがて式が終わり、雨あられと叩きつけるように降りそそぐライスシャワーで新郎新婦が見送られました。本当に結構な勢いで投げつけられるので、さらのふわふわなカーリーヘアには白い米粒がたくさんからんでいたし、新郎の乏しい毛量では頭部を保護しきれずにちょっと痛そうでした。でも楽しいので一緒になってやります。一人身の妬みもこもっていたかもしれません。

それを見届けると、花をかたどった純白のセロハンを各々の車に括り付け、皆パーティ会場へ移動します。私たち外国人組は親戚一同の仕立てたプルマン(ミニバス)に同乗させてもらい、会場となるワイナリーへ向かいました。

車内にまで入り込む日差しの眩しさに目を細め、葡萄畑をぬって到着すると、まずは白鳥の泳ぐ池のほとりの庭でアペリティーボ。プロセッコや赤白ワインの栓が次々に開けられ、何種類もの地元産のチーズにハム、生の果物にお酒のしみたドライフルーツ、ブルスケッタや小皿に盛られたおつまみがずらっと並びます。

まさに異国のガーデンパーティといった風情を堪能しながら、サラの妹とのおしゃべりに興じていると、その場を仕切っていたサラの姉に「おしゃべりしてないで、食べなさい!さぁさぁ!」と促されました。

このお姉さんがまた、40前にしてすでにイタリアマンマの貫録たっぷりで、一家の長女として頼りになるまとめ役。ちなみに彼女は兄弟の中で唯一の既婚者で、初恋相手にして初めての彼氏と結婚した一途な女性です。

「何してるの、なすに食べさせなきゃ、ほらほらあっちよ!」

指令を受けた末っ子の妹と一緒に食べ物の列へ。庭に置かれたテーブルに腰掛けて、冷えたロゼのスパークリング片手に舌鼓。どれもこれも美味しくて、ぺちゃくちゃおしゃべりしながらも、つまみ好きとしては次から次へ、かなりの量がお腹におさまりました。

イタリアの結婚式というワードに飛びついてちゃっかり参加していた私の母が、いつまでも続くアペリティーボにこれがメインなのではと疑い始めた頃、クラシックなフィアットに乗った新郎新婦が登場。

「おじさんの車なの。渋っていたけどなんとか借りられたわ」とは後で聞いた話。

生演奏に合わせて新郎新婦がダンスを踊り、思い思いのテーブルでくつろぐ人々の間を回って祝福を受けたり写真をとったり。それが一段落すると、招待客は次々と酒蔵を改造したような室内のレストランへ吸い込まれ、正餐が始まりました。

パルメザンチーズの薫り高いリゾットには甘酸っぱいバルサミコのソースがかかり、木の実のソースがかかったラビオリの中には豚肉とリコッタチーズ。付け合せの野菜も味わい深い、グリルした地元の肉や魚料理といったメイン。その一皿ずつに新しいワインが供されました。

歓談の合間に各テーブルを回る新郎新婦が、このご馳走をほとんど食べられないのは日本もイタリアも同じの様子。

いよいよ飲んだくれた男連中が大声で「バーチョ(キス)ッ!バーチョッ!」とはやし立てるのも、行き過ぎそうになると奥さんがにらみを利かせるのも、笑ってしまうくらい見たことのある光景でした。

ちなみにこの時、私たちの囲んでいた国際チームのテーブルでは、母を含めた半数以上の女性が離婚を経て独身生活を謳歌しているということが判明。周りとは全く正反対の方向に異常な盛り上がりをみせ、記念撮影へと移行するのを横目に、この時ばかりは親族席の人々があまり英語を解さなくてよかったと思ったのでした。

飲めや歌えのひとときが終わると、今度は再び外へ出て、ドルチェビュッフェを堪能する時間が始まりました。

あれこれと目移りするうちに、新郎新婦とともにウェディングケーキが登場。シンプルな1段のケーキは大きな丸型で、真っ白な台の一面に鮮やかなワインレッドのソースがかかっていました。口に入れると、これもやはりリコッタに似たチーズの味わいが程よいスポンジと重なり、それをベリーのソースが良く引き立てて、濃厚なのにしつこくなく、なんとも洒落た味のウェディングケーキなのでした。

大量のケーキを前にまったりとくつろいでいると、何だか周りがそわそわし始めました。ちらちらと花嫁の方へ視線を向けているのは皆女性。やがてうら若きから熟年まで、シングル女性が大集合して行われたのが、お馴染みのブーケトスでした。

ほほほ、まぁ一応ね、にぎやかしに。そんなていを装って参加してみたものの、ブーケがすとんと落ちたのは既に2度や3度くらい結婚していそうな、親族のつてで来ていた女性歌手。あまりの貫録に、1度くらい譲ってくれても良いのにと、その場にいた未婚女子達はみんな思ったに違いありません。

一大イベントが終わると、西日の差し始める庭に今度は軽快なポップミュージックが流れ始め、人々はまたお喋りに興じます。

やがて日が落ちる頃には、遠方からやってきた客から徐々に、主役の二人とその家族へ暇を告げに行く列ができ始めました。新郎新婦は一組ずつに礼を言い、名残を惜しみつつ、一人一人に心ばかりの土産を手渡して別れの挨拶をしていました。

サラたちが選んだ、日本でいう引き出物に当たる贈り物。それは、オリーブオイルとバスサミコのセット。新郎の故郷であるモデナ産のバルサミコと、サラの故郷リグーリア産のオリーブオイルをそれぞれハート型の瓶に入れて一組にし、アーモンドを砂糖でコーティングしたコンフェッティ(ドラジェ)を忍ばせてラッピングしたものでした。

これがなんとも言えず可愛くて。もったいなくて、いまだに自室の棚に飾ってあります。悪くなる前に頂くのが、良いのでしょうけれど。

余談ですが、イタリアの結婚式に出席するにあたり、何を着て行ったらよいのか。習慣やタブーなど皆目見当がつかないなか、いろいろと調べてもみたので、実際の感想とともに少し書き残しておきます。

迷った挙句に私自身が着ていったのは、レースの袖がついた光沢のある黒い綿シャツに、ボルドー色のチュールスカート。チュールスカート自体は体型の関係で身内に非難轟轟でしたが、色合いとしてはまずまず無難だったと思います。サラの姉妹はじめ、赤を来ている人は何人もいましたし、黒は昔こそ慶事に避けるイメージだったものの、やはりエレガントな色ということで老若男女着ている人は多かったです。

女性は美しいロングドレスの方もいれば、地味めのスーツやワンピースに華やかなアクセサリーというパターンも。シャンパンゴールドやベージュにラインの入ったパンツスーツというのも品が良く見えました。

男性はほとんどがスーツでしたが、上下黒はあまりいませんでした。色のあるスーツやワイシャツを着こなし、さし色に鮮やかなタイやチーフできめた男性陣はさすがイタリア。

昔、パリの街角で偶然、結婚式に集う人々を見かけたことがありました。その時、教会から出てきた男性の何人かがジーンズに黒いジャケットを羽織っていて、それが何だか妙に格好よく見えたものです。が、今回はさすがにジーンズで来ている人はいませんでした。

こうして経験した、今までで最も長く、美味しかったイタリアの結婚式。ひたすら食べて飲んでお喋りした、夢のようなひと時でした。

アペリティーボでグラスをのぼる泡をみながら、旅先での偶然の出会いがつながってこんなところに自分を連れてきたのだと思うと、しみじみと不思議な気持ちになりました。

新しい人と出会うのはたいてい環境が変わる時ですから、旅行も環境の変化と考えれば、出会いの機会が多いのは当然かもしれません。とはいえ、毎度良い人に巡り合えるとも、その後も関係が続くとも限りません。むしろほとんどはその場限りで、その一期一会も旅の魅力です。

旅の中でその後も続く友人ができるというのは、やはり特別で、ちょっとした奇跡のようなものかもしれません。

それでも、遠い異国の地に、心地よく語り合える友がいる。

きっとどこかに自分と合う人がいて、ふとした瞬間に出会えるかもしれない。

そう考えると、なんとなく楽しくなるし、気持ちも明るくなります。

この結婚式のすぐ後、サラたちはハネムーンへ。行先はなんと日本。慣れない観光案内に四苦八苦の珍道中の様子はまた別の機会に。

イタリアの結婚式、パーティ会場
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