英雄の結婚 上

Made in スコットランド

私が留学していた二年ほどのあいだ、現地スコットランドは何かと話題の場所だった。

まず、2014年9月にあったのが、スコットランド独立を問う住民投票。月末に入国した折にはまだ、スコットランド「国旗」である白と青のセントアンドリュースクロスがいたるところで翻っていた。もともと独立志向の強い土地柄なのは言うまでもなく、加えて北海油田の利権が、経済基盤のある独立という夢を人々に抱かせたのだった。この時は反対が賛成をわずかに上回り、スコットランドは辛くも英国内に留まることとなった。

ところが、翌2015年の総選挙を経て2016年、今度は英国が欧州連合(EU)を離れるか否かの国民投票が行われ、結果として離脱が決まってしまった。まさかと思ったのはデイヴィッド・キャメロンだけではなかったはずだが、結局は、わずか2%に満たない票差で、英国はEUと袂を分かつことを決めた。

ただ、スコットランドだけを見れば、六割以上が残留に投票していた。私はちょうどその時、修士論文への協力を求めて、日本にいる学部時代の指導教授と連絡を取り合っていた。話の流れで当地の様子を聞かれ、「まぁ残留でしょう」などと答えた記憶がある。実際、英国内のどこよりも残留派が多い土地だった。

余談だが、ブレグジットに続いて、同年秋には別の国で二度目の「まさか」が起こる。米国大統領選での、ドナルド・トランプの勝利だ。この二つの投票結果は多くの点で傾向が似通っていると言われていたし、私もそう思った。特に、30歳代から下の若者と中高年との間に大きな隔たりがあるのは明らかで、さらに、両者のうち決定権を持つのが、未来をより長く生きる方ではないという事実もまた、続けざまに明白になった。私は今や弱者となった若年層の多く集う学び舎に、ほとんどこもるようなかたちで暮らしていたから、世論というものを正確につかむことができなかったのだろう。

EU離脱の結果を受けて、スコットランド独立の気運が再び高まったのは間違いない。逆に言えば、もし独立投票と離脱投票の順序が逆だったら、スコットランドはすでに独立を果たしていたかもしれない。いずれにしろ、英国とスコットランドは当時、大いに混乱しつつ、世界から見ても歴史的な転換期を迎えていた。

一方、日本では、2014年の独立投票と時を同じくして、スコットランドと深いかかわりのあるドラマがスタートした。NHKの連続テレビ小説「マッサン」である。主人公の竹鶴政孝は、スコットランドの名門グラスゴー大学に留学し、現地の蒸留所で本場のウィスキー作りを学ぶ。そしてスコットランド人の女性を妻として帰国後、日本ウィスキー製造の礎を築いた。

放送開始が渡英時期と重なっていたわけで、個人的には内容を見ていないのだが、きっと日本人がスコットランドを身近に感じるようなエピソードが語られただろうと思う。スコットランド内で一般に「マッサン」が知られることはなかったが、2年間に当地で日本が話題になった出来事も、実は二つほどあった。

一つが、日本ウィスキーの台頭だ。もともと、2000年代に入ってから日本のウィスキーは、WWA(ワールド・ウィスキー・アワード)はじめいたるところで賞を受けていた。著しい地位向上の極めつけに、ウィスキー批評の権威であるジム・マーレイが2014年、『ウィスキー・バイブル2015年版』で、山崎シングルモルトに最高得点を与えた。これは愛好家の間ではちょっとしたニュースとなった。

もう一つは、日本がスコットランドのみならず世界中の注目を一身に集めた出来事だ。2015年、英国で開催されたラグビーW杯、南アフリカ戦での劇的な勝利である。ラグビーはもともと英国発祥のスポーツで、スコットランドでも他の英領・もと英領地域と同様に歴史があり、人気がある。自国開催ということでさらに関心が高まっていたところへ起こった、「ラグビーW杯史上最大の番狂わせ」だった。

詳しくない者からするとピンとこないが、ラグビーというのは、たまたま勝つ、負ける、といったことのない競技だそうで、この結果は現地でも衝撃を持って受け止められた。当時英国にいた日本人なら誰しも、知り合いから見ず知らずの人まで、さまざまに声をかけられたことと思う。私も試合翌日、教室へ入るや否や、先生に「おめでとう!」と叫ばれて面食らった記憶がある。日本のラガーマンたちがつかみ取った歴史的な勝利は、しばらくは英国内の一般日本人をもヒーローにしてしまったのだった。

因みに、このとき同じグループ内にあって、日本の次の試合の対戦相手がスコットランドだった。日本は大敗を喫したものの、自国開催となった2019年W杯では雪辱を果たした。

さて、同じく英国発祥のスポーツの一つに、テニスがある。正確には、競技としてのテニスが英国で生まれたのだが、ともかくこの競技において、近年英国のスターといえば、アンディ・マリーだ。フェデラー、ナダル、ジョコビッチという名だたる選手たちと並んでBIG4と称される、英国スポーツ界のトッププレイヤー。そんな彼は、実はスコットランドの小さな町、ダンブレーンの出身だ。

アンディがスコットランド出身だということは、英国内ではよく知られている。ご存じのとおり、スコットランド人は英国人とひとくくりにされることを嫌う。そしてイングランド人にとっては、そんなスコットランド人の言動がいちいち目障りだったりする。アンディ本人は自身を「スコットランド人であり、英国人でもある」と明言しているが、何かあるたびにまわりはうるさい。

この件に関しては面白い話が一つあって、私の入学した年の1年前、同じコースの学生に、ニュース内におけるアンディ・マリーの形容詞について、修士論文に書いた人がいた。彼のコーパス分析によれば、ポジティブな文面においては「英国人の(British)」アンディ・マリー、よりネガティブな文面では「スコットランドの(Scottish)」アンディ・マリー、と称される傾向にあった、という。タイムリーなうえに目の付け所の面白い試みだった。この論文がちょうど私の在学中にBBCで取り上げられた時、彼は学部内でちょっとした有名人になった。友達とその話をしながら、意識的にしろ、無意識にしろ、ことほどさように両者の民族的意識は根深いものかと、改めて思ったものだ。

ともあれ、2012年のロンドン五輪金メダル、2013年のウィンブルドン優勝を経て、もはやどこの出身であろうが、アンディ・マリーは押しも押されもせぬ英国の英雄となった。さらに数年後には、世界ランキング一位に上り詰め、ナイトの称号をも授与されることとなる。

そんな彼が故郷で結婚式を挙げたのが、2015年の春だった。

英雄の結婚 下 に続く

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