黒塗りとマッシュポテト

Made in スコットランド

この冬は暖冬になるらしい。

私は暑さにはめっぽう弱く、寒い季節にこそアドレナリンが放出するような気がしている。真冬でも暖房などつけず、ミノムシのように布団にくるまって眠るのに快感を感じる身としては、いまから若干物足りないような気持ちになる。

とはいえ、売り場を彩るにぎやかな食材が秋の色を濃くしていくのをみると、やっぱり心は浮足立つ。

梨、ぶどう、キノコ類にさつまいも。あれ、バターナッツかぼちゃまで。なつかしいなぁ。

季節感の乏しい英国のスーパーで冬になると顔をみせ、安かったので買ってみたものの、かぼちゃのような濃厚さがなくて、結局スープくらいにしか使えなかったのは苦い思い出だ。

いやいや。ローストが美味しかった。塩コショウして他の根菜類といっしょにベーコンと混ぜ、ニンニクで香りづけしてオーブンでじっくり熱すると、最高のつまみになったんだった。ローズマリーなんてオシャレなものを買う余裕はなかったけれど、どこかに野生のがあるんじゃないかと、帰り道でキョロキョロしたり。

クリスマスホリデーをすごすのに欠かせなかった楽しみを思い出す。

そんなとき、カナダの首相が学生時代にしていた黒塗りが問題になっている、というニュースを見た。

この手のはなしは定期的にでてきて、国際社会で大きく取り上げられるので日本でも一時話題になるが、結局日本人には馴染めず理解しきれないものとして、いつも消化不良のまま流されてしまう。日本国内での黒塗りが批判される時でさえ、どこか他人事である。

「そんなに目くじら立てること?」

「差別する意図はない」

「むしろリスペクトの証」

日本で生まれ育った人間として、わからない感覚じゃない。そして少なくとも一定の間、国外に身を置くという経験をしなければ、同じように感じたかもしれない。あるいは、あの出来事がなければ。

フェミニストやストレートアレイを自称するリベラルなイケメン政治家の、若かりし頃の無邪気ともとれる浅慮な行動は、私に留学先で出会った一人の大学生を思い出させた。

T君とは、構内の日本人同士の集まりで知り合った。彼は日本の有名私立大学の交換留学生として、1年間を学部で過ごしていた。父親の仕事の都合で子供時代をマンチェスターで過ごした帰国子女であり、サッカー好きで英語も堪能。それでいて素直で嫌みがなく、人から可愛がられるタイプの好青年だった。

学部へ留学していた彼とは行動範囲がまるで違い、普段はほとんど会うことがなかった。多国籍な留学生に囲まれたマスターコースの私たちと違って、学部はまだまだ現地の学生が多く、サッカー部に入って地元の人々に言葉も感性も揉まれながら練習に打ち込む姿は、しなやかでたくましく見えた。

そんなT君が、ちょっとした用事で私と日本人の友人が暮らすフラットへ来た時、ふるまったマッシュポテトをえらく褒めてくれたことがあった。

「これ、凄く美味しいですね!マッシュポテト、自分でも作るけど、全然こんな感じじゃないです。別物です!」

何が違うのかなぁ、という彼に、我流の作り方を説明した。

マッシュポテトはその名の通り「マッシュ(つぶ)したポテト(じゃがいも)」で、そこに何を混ぜるかは人それぞれだ。因みに日本の“粉ふき芋”は芋をつぶさない。

シンプルなマッシュポテトの混ぜ物としては、たっぷりのバターや牛乳、クリームに塩コショウなどが王道で、英国人に言わせれば

「混ぜすぎてはいけない」

らしい。粘り気が出て固くなってしまうのだとか。 個人的にはそこはあまり気にしないけれど。

深さのある鍋でひたひたの水からポテトを茹で、茹ったら蓋を使ってざっと水を切る。その熱い鍋の中へ多めに塩を振り、さいの目に切っておいたチェダーチーズをたっぷり入れて、ポテトをつぶしながら混ぜる。芋の原型がなくなり、熱で溶けたチーズと一体化して滑らかになるまで、止まってはならない。鍋が熱いうちに、その中で全ての工程を終えてしまうのだ。根拠はないが、そうすると美味しくできる気がする。

たいていはこぶしより大きなポテトを1キロ以上使って鍋一杯に作り、冷蔵庫で保存しながら1週間くらいはもたせた。既に濃いめに味が付いているので、塩を振って水けをきったキュウリやゆで卵と混ぜてポテトサラダにしたり、サンドイッチの具にしたりして、ほとんど毎日食べることもあった。衣を付ければコロッケにもなったし、たくさん余ったら週末はフラットメイトと熱々のコテージパイをつついた。

もちろん、できたてをそのまま食べるのは何より美味しい。

表面に白いアミノ酸のつぶつぶが浮き出るほどに熟成された、チーズの旨味とまろやかさ。それがポテトのやさしい甘さと合わさって、温かなマッシュポテトは何とも言えず幸せな食べ物だった。

英国のジャガイモ売り場には、実に色々な種類のビックリするほど大きなポテトがひしめいていて、これまたビックリするほど安くて、そして間違いなく味がしっかりして美味しい。彼らにとって芋は日本人にとっての米のようなもの。まさに主食だから、当然と言えば当然かもしれない。

酪農も盛んで、市街から離れた大学の敷地は、だだっ広い牧場と隣り合わせていた。チーズは言うまでもなく新鮮で、こちらも安い。日本に比べれば種類は豊富で、飾り気のないチェダーが特に多く、これがもちろんうなるほど美味しいのだが、どことなく田舎っぽさを感じさせる素朴なラインナップに思えて、たまらなく好きだった。

日本には他のどこよりも美味しいものがたくさんあると思うけれど、スコットランドの方が断然旨い、というものもいくつか存在する。そのうちのふたつが、間違いなくポテトとチーズだと思う。

「自炊に慣れなくて、美味しいものに飢えている」というT君に、じゃあ今度はちゃんと夕飯を食べにおいで、と言って次の約束を取り付けてからしばらく後、構内でばったり会った。しかし、どことなくぼんやりとして生気がない。

「元気ないね。どうかしたの?」

「いや、えっと…」

「大丈夫?今度の夕食、来られそう?」

「あ、はい。大丈夫です。ちょっといろいろあって…おじゃましたとき、相談させてもらうかもしれません」

そう言って、何となくそそくさと去っていった。

その時は体調でも崩したのかと、さほど気に留めなかった。しかし、数日後に約束の時間から少し遅れてやってきたT君は、青白い顔で憔悴しきっていた。2~3日の間に一回りも痩せてしまったように見え、肩身が狭そうに縮こまっている。

「どうしたの、何があったの?」

共用キッチン横に置いてあったテーブルセットに座らせて尋ねると、彼はうつむき加減に話し始めた。

「実は…」

数日前、アフリカネイションズカップ(アフリカ大陸のサッカー大会)開催を祝うために、サッカー部が市街地のパブでパーティを企画した。そこには実に30人以上の部員がblack face(黒塗り)で参加し、深夜まで騒いでいた。そこへ、「お前らは差別主義者だ!」という怒鳴り声とともに記者らしき人物が乱入した。その場は騒然とし、既に酔っていた何人かは記者に突っかかり、その様子も含めて、翌日には映像つきで大々的に報道されてしまった。国際的な学舎として、大学はいかなる差別も許さない姿勢をとっており、すぐさま徹底的な調査が始まった。

T君は黒塗りこそしなかったものの、パーティに参加し、報道された写真にもバッチリ写ってしまった。もちろん、調査対象であった。

「自分には悪意なんて全くありませんでした。黒塗りするというのも、知らなかったし…いや、もしかしたら直前に誰か言っていたかも。わかりません。でも、差別っていう意図はなかったと思うんですけど…多分、でも、どうだろう。気付かなかっただけなのかな」

「記者が乗り込んでくるタイミングが良すぎるって、言ってる人もいます。あのパーティにだけ出てなかった連中もいて、はめられたんじゃないかって。本当のところは、わかりませんけど…」

話しながらも、T君が混乱しているのが伝わってきた。

「何度も呼び出されてて、今度また面談があるんです。悪気はなかったけど、悪いことをしたなら謝りたい。でも、部の友達からは、そんなつもりなかったんだから、俺たちは悪くない。余計なことは言うなって言われてて…すごく親しいやつがいて、俺、そいつのこと信頼してて、尊敬もしてるんですけど。そいつも、お前は関係ないから謝る必要はないって言うんです」

「いろいろ考えてたら、大学にいるのがつらくて。先生だってクラスメイトだって、何があったか知っているし…俺、初めて授業さぼっちゃいました」

「寮で、それまで全然話したことなかったやつが、突然話しかけてきたんです。大変だな、何があったんだって。そういうの、たまらなくて」

「本当は今日も来ようか迷ったんです、けど…寮にいても人の目が気になるし、一度、同じ日本人に、どう思うか聞いてみたくて」

「俺、何やってるんだろう。(日本の)大学の代表として来てるのに、留学続けられるのかな」

人と会いたくなくて部屋にこもり、食事ものどを通らないという彼に、私たちはありきたりな慰めの言葉をかけることしかできなかった。

T君に差別意識がなかったのはもちろん、実際に黒塗りをしたわけでもないし、状況からして彼が大きく断罪されるようなことはないと思うが、多少なりとも罪悪感をおぼえるのならきちんと謝りたいというのも、日本人の心情としてはよくわかる。どうしたら良いのか。どう考えるべきなのか。

正直なところ、この時は私たちにも、事態の本質的な問題や深刻さがあまり理解できていなかった。ただ、異国で好奇の目にさらされ、信頼する仲間たちと自分の良心との間で板挟みになっているT君がかわいそうで、追い詰められた様子が心配だった。

私と友人は顔を見合わせ、助けを呼ぶことにした。

近くに住むⅠちゃんに連絡をとって、急遽夕食に招待したのだった。彼女は学部の留学生で、私たちより若干年下だが、海外生活の経験が豊富。そして、多くの日本人留学生をこの大学へ送り込んでいる大御所の先生と懇意にしていた。

彼女は急な連絡にも関わらず、「今から行きます」と二つ返事で了承し、数十分後、モコモコのマフラーに鼻先まで埋まって現れた。夕飯にと言いながら、食事もそこそこに事情を説明すると、

「あーやっぱり、そのことか」

と言って苦笑した。

「知ってたの?」

「学部のメーリングリストで回ってきてましたもん。ローカルニュースにもでかでかと載ってたし。写真みて、やっちゃったなーと思ってたんだ。」

鍋の具をつついていたIちゃんは、箸を置いてT君を見つめた。

「謝るしかないよ」

あまりに断定的な言い方に、私たちはちょっと驚いた。

「気持ちとかは関係ない。白人が黒塗りをするっていうこと自体が差別なの。そいつらがバカ騒ぎしてた現場に一緒にいたなら、問題になって当然。知らなかったとか、そんなつもりなかったとか言うのは、歴史にあまりに無知だし、通用しないんですよ」

その言葉は、T君にも私たちにも、重く響いた。しかし、問題が解決したわけではないにしろ、五里霧中だったT君にとっては取るべき行動の方向性を指し示す助言となった。

「正直に気持ちや状況を話して、謝ります」

彼はいくぶんスッキリした面持ちになって、やっと目の前の鍋を食べ始めた。

後日、Iちゃんがたまたま渡英してきた大御所先生にもT君を紹介し、その先生の口添えもあって、T君は無事、調査を乗り切った。その後、残っていた留学生活をT君がどのように過ごしたのか、友人たちとの関係がどうなったのか、本人の口からきく機会はなかったが、満了後に帰国してからも元気でやっている様子はSNSからうかがえた。

私にとって、日本人は未だ国際的なタブーに無知で無関心なのだということを身につまされて感じた出来事だった。また、それは日本人に限った話ではないのかもしれない、とも考えた。

アフリカのサッカー大会開催を祝うパーティで、いったいどれだけの男の子たちが明確な悪意を持って白い肌を黒く塗ったのだろう。きっと、少なくともほとんどが、そんなつもりはなかったに違いない。深く考えずに、盛り上がりそうだからというノリでやったのか。

しかし、こういうことをする時には「深く考えない」ということが命取りになる。

本当に 黒塗りそれが必要か。 本当に、ほんの少しも、肌が黒いということで笑いをとったり馬鹿にしたりといった意図がないのか。例えば尊敬する人や黒人の友人の前で、罪悪感なくそれをやることができるのか。

あるいは、黒人差別という歴史に基づく明確なタブーに挑戦するほどに、自分の行動には正当性があり、やる価値があると言えるのか。

深く考えずにやってしまって、後から正当化しようとするのは許されない。それが“タブー”なのだと思う。

Black Face(黒塗り)のニュースが出るたびに、戒めと共にあの時のことを思い出す。

T君の褒めてくれたマッシュポテトの味が、彼にとって苦いものになっていなければ良いな、と思う。

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