兎追いしオールドラウマ

北欧で大人旅?
オールドラウマ、教会横の小川

ラウマはフィンランド国内にある数少ない世界遺産のうちの一つで、公式サイトによれば、

フィンランドで3番目に古く、変化に富んだ方言、ボビン・レース、保存状態のよい旧市街の木造建築が有名(VisitFinland.com)

という歴史ある田舎町。トゥルクからはバスで一時間半ほど。小旅行にちょうど良い距離だ。

二十歳を少し過ぎたころ、大学生だった妹をつれて、北欧はスウェーデンからフィンランド、バルト三国のエストニアとラトビアまでを旅したときに、フィンランド最古の街、トゥルクを訪れた。そこから日帰りで行ける可愛らしい街があるというので、ラウマにも足を延ばすことにしたのだった。

前日、トゥルクの市街地観光ついでにバスの時刻表をチェックしておいた。九時過ぎにホステルを出発し、黄色い落ち葉を踏みしめながらてくてく歩き、バスターミナルへ。十時発のラウマ行きに乗り込んだ。

二人で七十ユーロちょっと。北欧へ入って1週間が経とうというところで、そろそろ高物価にも慣れてはきたものの、やはり安くはない。しかし、最初の都市、スウェーデンのウプサラではペットボトルの水の値段にもびっくりして、コンビニ店員にぼられているのではないかと疑ったほどだったことを思えば、内心はどうあれ、なんでもないような顔で支払いを済ませられるくらいには馴染んできた。

外は今にも降り出しそうな曇天だった。観光に雨はやはり大敵。降らなければ良いけれどと思っていたら、案の定、走り始めてしばらく経つと、水滴がバスの窓をたたく音が聞こえてきた。雨足はだんだんと強くなっていった。

始発から乗ったのは私達のほかに、中年の女性と、軽装の若い女性。中年女性はずっと電話で誰かと話している。いくつかの停留所でさらに数人の乗客を拾うと、その後、バスはまっすぐな一本道をひた走った。私は冷気をまとった窓ガラスに頰を近づけ、気がつけば、日本とは全く違うフィンランドの風景を夢中で追っていた。

直線上にどこまでも伸びていく道。岩場を覆うパステルグリーンの苔。同じくらいの高さの似たような草木が、等間隔に続く森。一つの景色に認められる植物の種類は、おおよそ両手で足りるくらいのように見えた。そしてちょうど私達の訪れた紅葉の季節には、木々の葉が一斉に赤や黄に染まり、紅色のシダが岩を這っていた。

そこに日本のような複雑さや、柔らかさはなかった。北欧の自然は力強く、美しくて、どこか静謐な寂しさを湛えていた。景色を眺めるうちに、自分がどんどん別世界へ踏み入っていくような気がして、不思議な高揚感に包まれた。その圧倒的な没入感のなかでは、憂鬱なはずの旅先の雨ですら、舞台を彩る特別な演出か何かのように思わせた。

細長い木々、むき出しの岩肌と焦げ茶色の土、水たまりのような池や、あるいは底の見えない湖。その連なりを飽くことなく眺めていると、冷たい雨に濡れた灰色の空こそが、この北の大地にはふさわしいような気さえした。

あるいは、そんな場所にやってきた自分自身の心をうつしているかのようにも思えた。とっぷりと感傷に浸りながらバスの旅を楽しんでいると、やがてラウマのバスターミナルが見えてきた。

おや?

停まったバスから降りる頃には、いつの間にか雨も止んだ。雨後の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、私たちは旧市街、オールドラウマへと歩き始めた。すると、分厚い雨雲に切れ間が見え始め、その隙間から一気に日差しまで溢れてきた。

オールドラウマの街並み

北欧の人は流ちょうに英語をしゃべるイメージがあるが、英語圏以外の国の地方都市の御多分に洩れず、ラウマの地元の人々にとってはフィンランド語以外はあまりなじみがないようだった。

けれど、そういうところに限って、人は親切なのだ。地図を広げて旧市街への道順を確かめ始めるとすぐに、土地の人と思しきダンディーなおじさんが声をかけてくれた。流暢ではないけれど、身振り手振りの案内で十分だった。

都会の人は、言葉を話せても放っておく。地方の人は、話せないのに放っておけない。日本でも世界でも、どこへ行っても変わらないこともある。

冬の準備を始めようという時期には、観光客もそれほどいないらしく、どこか閑散としたラウマの旧市街。しかし、背の低いカラフルな建物が立ち並ぶ街並みは、のんびり歩くだけでも目を楽しませてくれた。

昼食を挟んで教会を訪れる頃には、空は朝から一転、すっかり晴天になっていた。

青空と紅葉のコントラストを楽しみながら、街の奥まで来ると、こじんまりした教会が見えてくる。教会の脇の小川に差し掛かったところで、突然、川岸から野うさぎが飛び出してきた。素早すぎて全体像が目で追えないほどだったが、長い灰色の耳が目の前を過ぎて行ったのだけは、残像のように鮮やかに焼きついた。

可愛らしい田舎町に、グレーの兎。まるでピーターラビットの世界、と思うと、何だか気分も上がってくる。こういうことに妙に感動してしまうのは、都会育ちの性だろうか。

ラウマ旧市街

教会の内部へ入ると、見た目どおり、小さいけれど静かで落ち着いた祈りの空間が広がる。

祭壇に向かって左の中ほどには、一人、老婦人が座っていた。彼女は毎日ここにいるのだ。これからもずっと。もし、あなたがここを訪れることがあったら、きっと会うことができるだろう。

教会を出てのんびり歩いたら、カフェでシナモンロールと暖かいカフェラテ、ドーナツなどいかが。角のないほっこりする味でおすすめだ。

オールドラウマ、教会横の小川

オールドラウマの主教会

オールドラウマの教会内部

因みに、ラウマはボビンレースでも有名だ。私たちも祖母へのお土産に一つ買って帰ろうと思い、店まで調べてあった。ところが、なんと閉め切ったドアに「十時から十三時まで開店」と書いてあるではないか。のんびりランチしているうちに、タッチの差で閉まっていた。それにしても、シーズンオフとはいえ一日三時間営業とは、なんとも優雅なものだ。レースを編みながらでも、店を開けていてくれたら良いのに。

帰り道は、雲一つない晴れだった。それはそれで気持ちが良い。写真一つとってみても、青空の方が断然〝映え〟る。けれどやっぱり、鬱々とするような曇り空が、この土地にはしっくりくるような気もする。そんなことを思いながら、またバスに揺られてトゥルクへと戻ったのだった。

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