冬のロシアとナポレオンケーキ

ロシアで食い倒れ
はまること間違いなし!なロシアのナポレオンケーキ

スコットランドというと、イギリスでも北部に位置するせいか、寒いというイメージを持つ人が多い。しかし実際には、海流の影響でスコットランドは冬もそれほどの寒さにはならない。マイナス五〜六度にもなると、「あぁ、かなり冷えるね」と言う感じは、日本とほとんど変わらない。ただ、基本的に風が強いので、体感としては多少寒いのが実状かもしれないけれど。真夏も最高温度が二五度を超えないことを考えれば、天国のような場所だ、と個人的には思っている。暑いのが苦手な私にとっては、スコットランドは涼しくて過ごしやすい土地だ。

では、本当に寒いのはどこか。そう聞かれて思い出すのは、行ったことのある国のなかではやはりカナダやロシアだろう。北欧やバルト三国も寒さの厳しいイメージはあるけれど、私が訪れた十~十一月はまだ秋の陽気で、黄金色の落ち葉が美しい季節だった。

対して、小学生の頃、カナダの田舎にオーロラを見に連れて行ってもらったときのことは、ひたすら寒くて眠かった記憶として残っている。動きが鈍くなるほど防寒具を着込んでも、暖房の効いていないところでは凍えそうになった。もちろん、オーロラは綺麗だったし、満天の星空は圧巻で、広大な雪原を犬ゾリで走る体験も大変貴重だったと思うけれど、何しろ子供だったので、寒さと眠気が何にも勝ったのは仕方ない。

大人になってから個人で訪れた北国と言えば、ロシアだ。十二月の初めにロシアはウラジオストクへ行った時も、確かに寒かった。

ウラジオストクはご存知の通り、朝鮮半島の少し上。日本からも船で行ける距離で、鳥取から韓国経由のフェリーのほか、夏場は新潟からも海路がある。まさにアジアに一番近い欧州の都市。欧州というのも憚られるほどの距離で、実は、ウラジオストクやハバロフスクをはじめとした極東ロシアのあたりには、日本人とよく似たモンゴロイド系のロシア人が沢山いる。そんな事情も手伝ってか、首都サンクトペテルブルクを筆頭に、欧州寄りの地域に住むロシア人は差別意識が非常に強いとよく聞くけれど、極東ロシアでは逆にほとんどないという。実際、ウラジオストク旅行でも差別的な対応をされたり、嫌な感じを受けるといったことは全くなかった。

飛行機なら片道2〜3時間。ここまで近いと、果たしてそんなに寒いのかどうか、危機感も薄れようというものだ。氷点下40℃まで冷え込むカナダの僻地へオーロラを見に行って、人間は寒いと眠くなるという究極の実体験をもち、その後、順調に皮下脂肪を蓄え続け、成人してからは冬の申し子と自負する私にとっては、極東の寒さなど「どんとこい」くらいに思っていた。

とはいえ、以前、真冬の寒風吹きすさぶ韓国を訪れた経験から、一応の備えとして出発前日になんとか某超ライトダウンを購入。これで万端と満足している私を見た家族に、さらに無理やり手袋を持たされ、若干不服ながら家を出た。

少し前にフィレンツェで買ったオリーブ色の革手袋は、もう少ししゃれたところへ行く時につけようと思っていたわけで、これからカニをたらふく食べに行くのに、革手袋もないだろうと思っていた。

そう、この旅行の目的は、ズバリ「初ロシア」で「カニを食べること」。特にカニが好きというわけではないのだが、以前、都内の北海道フェアーのビュッフェで出てきたカニのあまりのひどさに、一緒にいた友人と二人、本物を食べに行こうと誓ったのだ。その誓いを果たす旅だった。

友人も私も海外旅行が好きだが、ロシアには行ったことがなかった。彼女は寒いのが好きではなかったし、入国にビザが必要ということもあって、思いつきでふらっと行ける国ではないというのが理由だった。しかし昨今、だんだんと規制が緩和されており、ウラジオストクならインターネットからの申請ですぐにビザが降りるということがわかった。申請後も1週間かかるという前評判だったのが、その日の夜には早くも許可がおりたというメールが届いたのには驚いた。近いうち、極東地域はノービザも実現するようだと聞いて、ますます気軽に訪れやすくなるだろうと楽しみにしていた。同じくらいの距離、時間、チケット料金で、台湾とも迷ったが、何しろ初めてのロシアという点に好奇心をくすぐられ、ウラジオストクに軍配が上がったのだった。

この時行っておいて良かったと言うべきか。そこから約三年後に新型コロナの流行が始まり、そのうちロシアがウクライナへ侵攻する事態となった。もはや日本や欧州からロシアへの飛行機はなく、ロシア国内ではクレジットカードも使えない。戦地から遠く離れた極東地域ですら、閉ざされた土地となってしまった。

超ライトダウンと革手袋ですっかり武装した気分でいた私だったが、実のところどうであったか。結論。ロシアはやっぱり寒かった!

特に到着した日の夜は零下十六度で、しかも吹雪いていた。一歩外に出ると、布で覆われている部分は良いのだが、肌が出ている箇所、顔や耳などが、本当に凍るのではないかというほど一気に冷たくなった。私はこのとき、「マイナス十度以下では皮膚は露わにするべからず」という教訓を得た。

手袋を押し付けるように持たせてくれた家族に感謝しながら、なぜか荷物に入っていた夏物のスカーフで頭から顔の下半分を覆い、季節を間違えた盗賊のような恰好で夕食を求めて街まで繰り出すことになった。ホテルから坂を下ってすぐの評判の良いレストランを選んだはずだが、ひたすら身をかがめて歩き、たどり着いた先でむさぼるようにペリメニ(ロシアの水餃子)を食べた記憶しかない。

翌日は、うって変わってよく晴れ、気温も零下ではあるものの十度を下回るほどではなく、冬の澄んだ空気を楽しむ余裕も生まれた。そうしてみると、前日は吹雪で気が付かなかったが、高台に建つホテルからは眼下に海が見下ろせた。

ウラジオストクの海は、冬になると対岸まで渡れるほどに広く厚く凍るのだと聞いていた。前日の寒さから「もしや」と期待したが、残念ながらいま少し、といったところだった。

ウラジオストクの 丘上から海を臨む

前日比で暖かくなったとはいえ、外でじっとしていると固まりそうな気候ではあった。我々は早速、市街地へ歩き始めた。西洋的な街並みを楽しみながら、しばらく散策を楽しむ。ウラジオストクは非常に起伏のある土地のようで、上がって下がってするうちにじっとり汗ばむほどになってきた。そんな状態でちょっと面白いものを見つけて立ち止まると、今度は汗が冷えてますます冷たくなる。足の疲れも溜まったところで、一息つこうと、大通りからほんの少し入った場所にあるカフェに入った。

たまたま見つけたのだが、落ち着いて品の良い店だった。アンティークな内装で、これはメニューにも期待できるかもと盛り上がり、紅茶とケーキを頼むことにした。ショーケースにはいくつも美味しそうなケーキが並んでいたけれど、店員さんにオススメを聞くと、小麦色でなんの飾りもない、一番地味なのを指した。

「これが一番」

「え、これ?」

いかにも素朴で重そうで、正直なところ、目に嬉しいケーキではなかった。でも、よく知らない旅先では騙されたと思ってオススメを選んでみるのも醍醐味だ。

「じゃ、これを」

しっかりとプレートにデコレーションされて運ばれてきたケーキを一口食べると、なんともいえない快い甘さと、ミルクの香りが鼻を抜けた。

「なにこれ、美味しい!」

見た目からは想像できないほど品の良い、優しい味と口どけ。見かけには、ナッツでもたくさん入っていて、それを蜜で固めたような印象を受けるのだが、食べてみると、実はパイのような軽い生地を砕いて、新鮮なミルクを使ったクリームで固めてあるようだった。口に入れるとそのパイ生地とクリームがほどけて、生地の香ばしさ、バターやクリームの芳醇な香りと甘さが広がった。

シンプルで、間違いなく高カロリー。でも美味しい!

思わず名前を再確認。

〝トルテ・ナポレオン〟?

日本語でいえば「ナポレオンケーキ」。どこかで聞いたことがあるような気のする名前だ。でも、こんなケーキは初めて食べる。パイ生地を使うというと、フランスのミルフィーユが有名だが、そういえば、いちごの入ったミルフィーユのことを「ナポレオン」と名付けていたケーキ屋さんがあったような…。

気になって調べてみると、やはりナポレオンケーキはミルフィーユの別名でもあるようだ。おそらくルーツはその辺りなのだろうけれど、しかし、このロシアのナポレオンケーキは、味も見た目も、普通のミルフィーユとは間違いなく一線を画すものだ。

そして、私は断然こっちの方が好き。ぎゅっとしている分、食べ応えもあって、無駄な隙間がないので食べやすい。日本でもこれを出してくれる店があったら、絶対に頻繁に買いにいくのに。これまでロシアン・ナポレオンケーキを売っている店に出会えたことがない。材料がシンプルで見た目も地味だから、こじゃれたパティスリーは見向きもしないのかもしれないが、レシピを見ると、自分で作るには結構大変そうである。

私はいまだに、日本でもロシアン・ナポレオンケーキが食べられる日を待ちわびている。

それにしても、早々に当たりの店をひいたものだ。暖かい紅茶と絶品のナポレオンケーキを食べながら、二人でついつい長居をしてしまったが、その間にもひっきりなしに地元の人がやってきては、ピースでいくつか、時にホールごとのケーキを買っていく。

お店の名前にも「トルテ(ケーキ)」って入っていなかったっけ?

と気が付いたのは、店を出てしばらくしてから。結局、あれだけ絶賛しながら、名前も満足に覚えていないわけだが、旅先の思い出というのは案外そんなものだからこそ、愛おしいのかもしれない。

私たちが無事にカニにありつけたのかは、また別の機会に。

はまること間違いなし!なロシアのナポレオンケーキ

Click to rate this post!
[Total: 0 Average: 0]

コメント

タイトルとURLをコピーしました