パリの年越しとサン•ミゲル市場のアスパラガス

スペインで食い倒れ

二〇一六年の年明け、最初にパリから飛び立った飛行機が降り立ったのは、スペインの首都、マドリッドだった。パリで友人とニューイヤーのカウントダウンを過ごした後、ついでに一人でスペインからポルトガルまで南下していったときのことだ。

ある種の貧乏性のようなところがあって、一度旅に出てしまうと、できるだけ色々なところを回りたくなる。そうでなくても、日本から欧州は遠い。多くの時間とまとまったお金をかけ、やっと異国の地を踏むことができるのだから、なるべく長くいたい、多くを見たいと思ってしまう。若い時はなおさらだ。

当時は欧州住まいとはいえ、留学生という期間限定の身分。正味2年近くをスコットランドですごしたけれど、1年目は生活に慣れるのに必死であったし、円安が進行していたことも相まって、気持ちにもお金にも余裕がなかった。2年目に入ってしばらくして、前期の講義が終わるころ、ようやく、小旅行をする贅沢を自分に許すことができた。

ところが、そのころ、今度は世界に余裕がなくなっていた。当時フランスでは、同時多発テロが発生したばかりで、厳戒態勢が敷かれていた。クリスマスの準備を始めようかというところを襲ったIS(イスラム国)の凶行は、欧州全体をひりつかせていた。そんななかでのパリ行きは、日本人としては多少なりとも気が引けるものだった。ギリギリまで迷ったものの、規制があるわけでもなく、結局は予定通りにした。ただ、日本にいる家族には、フランスに行くとは言えなかった。

到着したパリは、平時とかけ離れては見えなかった。イギリスがまだEU加盟国であったので、入国もスムーズだったし、市内は相変わらず賑わっていた。とはいえ、大晦日のパリを訪れたのは初めてだったので、例年はもっと人出があったのかもしれない。私と友人はいささか肩透かしをくらったような気持ちで、賑わうシャンゼリゼ通りのカフェで腹ごしらえをすることにした。

余談だが、フランス、特にパリで適当なカフェやレストランに入っても、美味しいものにはありつけない。朝食にクロワッサンとコーヒー、オレンジジュースくらいなら、おしゃれなカフェの街道を臨む屋外席に陣取れば、十分に満足できるけれど、外食でちゃんとした食事を楽しむとしたら、パリというのは高いわりに平均点の低い、期待させるイメージからするとちょっと残念な街だと思う。

パリでその辺のレストランに入るくらいなら、パン屋でいくつかみつくろい、スーパーでチーズとワインでも買って帰った方が何倍も良い。もし市場が開いていれば、グルグル回りながら黄金色に輝く鶏と、その身からしたたるあぶらでじっくりローストされたポテト、それから新鮮なブドウなんかが手に入るだろう。今のところ、これらが私がパリで食べた最高のごちそうだ。

このときは市場の開いている時間には到着しなかったし、そもそも大晦日に開いてもいなかっただろう。カウントダウン前のごった返すなか、市中を食べ物を求めてうろうろするつもりも、はなからなかった。例年よりだいぶ規模が縮小されたとはいえ、それでも浮足立った人の群れを眺めつつ、たいして美味しくもないピザを食べ、一度ホテルへ戻ることにした。

その後のパリでのことは、正直なところ良い思い出ばかりとは言い難い。

テロへの警戒から人出が少ないのを見越して、凱旋門に近い場所に陣取ったものの、痴漢を目撃するわ、財布をすられるわ、なかなか波乱含みの新年のスタートをきることになった。ちなみに痴漢は、我々の周辺にいたうら若い乙女から中年のマダムまで次々にターゲットを変え、最終的に三世代の家族連れのうち一世代目のご婦人に手をだしたかどで、当人から烈火の如きお仕置きを受けて退散していった。妙齢の我々だけを避けるように犯行を行った理由は不明である。

財布をすられたのは、生きてきてこれが初めてで今のところ最後だが、すられた瞬間がよくわかったので、相手はスリとしては二流以下だったに違いない。カウントダウンが終わってホテルへ帰ろうかというときだった。重みのなくなったポケットから出た手をすぐさまつかんだが、後の祭り。どこかに隠したのか仲間がいたのか、返せと言っても返ってくるはずはなく、自分より二十㎝近く高い位置にある若い男の顔をにらんでみても、どうしようもなかった。肝心なときに、「何してる、財布を返せ」以外の言葉が出てこない。向こうも、チビでおとなしげなアジア人の女に怒鳴られるとは思っていなかっただろうが、すぐに開き直ってとぼけてみせた。年明け早々、戻ってくるかもわからないもののためにパリ警察へなだれ込んでやりあうのもばからしく、つまんだ手を開放してやったのだった。

チャージ式のデビットカードと少額紙幣しか入っていなかったのが不幸中の幸いだが、それで気分が良くなるわけではない。人ごみのなか、チャックもないパーカ―の外ポケットに財布を入れていた自分が悪いのだ。あの盗人の次にではあるけれど。その夜は、スーパーで買っておいたチーズとワインで、お祝いなのかやけ酒なのかわからないものをあおって寝ることとなった。

元旦はパリ市内の美術館をはしごする計画だったが、私はここでもミスを犯した。学生ビザを大学のフラットに置いてきてしまったのだ。万が一の被害を最小限にと思って、財布を軽くしたのが失敗だった。パリでは、欧州の学生証と長期滞在ビザがあると、多くの美術館や観光施設へ無料で入ることができる。この制度自体は大変素晴らしいもので、各所の入場料の高さを考えれば留学生にとっては少なからぬ節約になるはずが、せっかくの恩恵にあずかる機会を逃してしまった。実は留学生が一時出国中にビザを携帯しないというのはけっこうな問題で、私はこのためにイギリス入国の際にも足止めをくらうことになるのだけれど、それはまた別の話。

オルセーやオランジュリーはさすがの美しさだった。美術の傑作たちに没入していると心が洗われるような気持がした。カウントダウンに関しては、もともと、待つもの人込みも好きではないのを、話しのネタに一度くらい、と思って出向いたのだ。たいして興味を引くものもなかったし、今後自発的に出かけることはないだろう。でも、花の都で美術鑑賞する醍醐味は、無料になり損ねたチケット代を差し引いても、十分に味わうことができた。何だかんだあったわりに、爽やかな心地で、私は元旦のパリ=オルリー空港を飛び立った。

マドリッドにも、そんなに良い思い出はない。小さいが新しくてスタイリッシュが売りのはずのホテルでは、予約した部屋が空いていないと言われ、初日を別の場所にあるタバコのにおいのしみ込んだ古い部屋で過ごさなければならなかった。滞在時間を最低限にしようと市中を夜までぶらぶらしてみたけれど、美味しいバルがたくさんあるはずが、いきあたりばったりではアタリに行きつけないらしい。おまけにこの国では、女が一人でぼーっとしたり食事したりというのを放っておいてもくれない。プエルタ・デル・ソルの人込みに揉まれ、一息付けたと思えば寄ってくるおじさんナンパに辟易して、結局早々と薄暗い部屋に戻ってくることになった。

ホテル側に勝手にあてがわれた部屋は、くつろげる空間とはとても言えなかったが、予想外にバスタブが付いていた。一般的なサイズの半分か三分の一ほどの、いったい何のためなのかわからないような代物だったが、それでもお湯がためられる。留学生活でシャワーを浴びることしか出来ない日々を送っていた私は、申し訳程度というのも申し訳ないようなそのバスタブを発見した瞬間から、必ず使うと決めていた。しかし、帰ってきていざというときになって、いくら探しても栓が見つからない。ここであきらめるのも癪にさわる。仕方なく、靴を履きなおしてジャンパーをはおり、もとのホテルのフロントまで行き、すったもんだの問答の末、チェーンの切れたゴム栓を手に入れた。

ホテルの従業員は最初、何を言われているのかわからないというような顔で、drainとかplugといっても、しばらくポカンとしていた。彼もあのバスタブにここまでして湯をためようとした客には初めて会ったに違いない。日本人の執念じみた行動に懲りたら、今後はせめて部屋のどこかに風呂栓を置いてほしいものである。ともかくその夜、私は足湯ときどき腰湯であたたまり、明日は美味しいものを食べられますようにと願いながら眠りについた。

翌日、その願いが通じたのかどうか。プラド美術館を満喫し、ソフィア王妃芸術センターでゲルニカをさらっと流れ見た後、立ち寄ったのが「サン•ミゲル市場」だった。マドリッド観光公式サイトによれば、一九一六年五月に生鮮食品卸売市場としてオープン。百年以上の歴史を誇るこの市場(市内では数少ない鋳鉄建築の傑作)は、二〇〇九年五月にマドリッド初のガストロノミー・マーケットとして生まれ変わった、とのこと。ガストロノミーとは、食と文化の関係を考察する学問で、いわゆる「美食学」というやつだ。

美食学の創唱者とされるブリア=サヴァランほどの高尚さがあるかはともかく、なるほど、ここは市民の利用するマーケットというよりは、新鮮な食材を使った、飲み食いできるバルの集まり。スペインの食文化を堪能するのに役立ちそうだ。すなわち、スペイン料理好きや酒飲みにはたまらない場所ということである。

フィレンツェの中央市場といい、近頃はこういう、市場のフードコート付きリニューアルが多いようだ。綺麗になって、良くも悪くも、雑多な土地くささや生活感はなくなっていく。それでも、ぽっと出の旅行者に有難い場所であるのは間違いない。地場の名物を短時間に良いとこ取りで飲み食いできるうえ、個人商店のように探しにくい入りにくいということもないので重宝する。

このときは年明けすぐだったので、休暇中の人も多かったのだろう。夕方前の時間だったが、ご飯を食べに来たと思しきスペイン人が結構いた。スーツを着た人もいれば、仕事帰りなのか合間なのか、休憩中でも飲むものは飲むお国柄なので、そこで見分けはつかないのだけれど。

中をぐるぐると練り歩いて物色した末に、立ち飲みのカウンターに陣取った、次の瞬間、隣のお姉さんの注文したものが運ばれてきた。ところどころ焦げ目のついた緑色。そこへ振りかけられた岩塩がキラキラと輝く、王様のような風格のアスパラガス。

これだ。これを食べなければ。

指さしスペイン会話の出番である。スペイン語を話すわけではない。指さしてスペイン人と意思疎通を図るだけ。英語、ときどき、なんちゃってイタリア語を入れてみる。いざとなれば日本語だって通じるものだ。でも、このくらいの会話が現地の言葉で行えると、地元の人との距離は格段に近付く。

こういう場所では、食べた分を後でまとめて精算してくれるところと、一品ずつお金を払って料理を受け取るところとあるが、このお店は後者だった。おじさんは無愛想だったけれど、きちんと英語で説明してくれた。そして、ものの五分で私の皿がやってきた。目の前にドンと置かれただけで、胸の高鳴りは最高潮。すっとナイフが入るほど火が通っているのに、しっかり歯ごたえがあり、口にいれるとアスパラの青い香りがいっぱいに広がった。結構な太さなのに、筋っぽさはなく、粗めにふられた塩が、ぎゅっと凝縮された旨味を引き立てる。最初はグリルしただけかと思ったが、あの甘みと食感は、恐らくさっと揚げてあったのだろう。

あぁ、安易にサングリアを頼んでしまった自分が憎い。これはキリッとした白か、スパークリングが欲しいところ。しかし、満足だった。ひたすらこのアスパラを食べ続けていたい…。

調子に乗って、この店ではさらに鶏肉とインゲンのパエリアに、ピンチョスを一つ、頼んでしまった。このピンチョスはちょっと面白くて、シラウオのように見えるけれど、実は日本の練り物を使っている。Surimiというと、欧州では今やとてもポピュラーな食材だ。いわゆるカニカマと同じようなものだが、昨今の健康志向も手伝って、日本人のあずかり知らぬところであっという間にワールドワイドになった。外国のあっさりしたマヨネーズとの相性も良く、このピンチョスも案外美味しかった。冷酒のように佇む、(結局注文した)白ワインとの相性もバッチリ。

総じて、この市場内は値段は高め(アスパラも十三ユーロ!)だけれど、ハズレのないものが食べられる印象だった。建物は雰囲気があって、新しめで綺麗。場所も、中心部から王宮に行く途中にあり、ふらっと立ち寄るのにちょうど良い位置だ。朝から夜までずっと開いているのも、旅行者にとっては使いやすい。普通のレストランやバルに入るより、気楽に好きなものを食べられるフードコートは、ひとり旅の強い味方だ。

それにしても、あのアスパラガスは美味しかった。普通は春に収穫するものだと思うのだけれど、あれはいったい、スペインのどこからきたものだったのだろう。

サン・ミゲル市場のアスパラガス

マドリッド、サン•ミゲル市場内 

鶏肉とインゲン豆のパエージャと、Surimiのピンチョス

マドリッド観光局のオフィシャルサイトhttps://www.esmadrid.com/ja/shoppingu/mercado-de-san-miguel?utm_referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2F

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コメント

  1. エルフェンバイン より:

    はじめまして 
    今私の弟夫婦がスペイン旅行中でして、昨日はサンミゲル市場でナッツ買って晩はカサ・ゴンザレスというタパス屋さんでイベリコベジョータてんこ盛りしてました
    今日はバスでアンダルシアへ向かっています
    途中に牛の黒い看板がいくつもあると報告してきました
    まさに茄子ですね〜
    話についていけるように色々調べていました
    こちらのブログにお大変世話になりました
    ありがとうございます

    • Nasu より:

      はじめまして。
      良いですねぇ、タパス屋さんの様子が目に浮かぶようです。
      茄子、ご覧になりましたか!
      あの映画は本当にアンダルシアの景色の特徴をよく掴んでいたと感じました。
      弟さん達には是非、オズボーンのシェリー酒も楽しんでいただきたいですね。
      このサイトが少しでもお役に立てれば嬉しいです。

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