貝の街 サンティアゴ・デ・コンポステーラ 前

スペインで食い倒れ
ムール貝のピリ辛ソースがけ

旅先で出会ったバックパッカーの女性に、訪れたなかで特に印象に残った場所を聞いてみたことがある。

たくさんあって、とても絞り切れない、という。それはそうだろうと思って、ではヨーロッパに限ってみて、と言った。欧州なら、軟弱な私にも行きやすいかも、などと思った。彼女はしばらく考えてから、

「スペインの巡礼の道ですかね」

と答えた。

「とにかく景色が綺麗で。見渡す限りのオリーブ畑とブドウのなかを、まっすぐな道が続いていて、とても雰囲気があるんです。一日歩き続けると、翌朝は体中痛くて、足なんか、地面につけるだけでビリっときて、痛っ!!って感じなんですけど。でも、すごく良い経験でした。食べ物も美味しかったですし、毎日歩いていると、そのうち皆、なんとなく顔見知りになって、ちょっとした会話も楽しかったり」

彼女の語る景色は、以前、長距離バスの車内から眺めたスペインの風景とも重なった。新鮮でいながら、どこか懐かしく、壮大で飽くことなく見ていられる景色。

走るのはしんどいが、歩くのは嫌いじゃない。1日歩き続けるというのがどんなものかわからないけれど、頭が空っぽになって良いかもしれない。休み休み進んでも良いのだし。

全て歩けばひと月はかかるという道を、1週間や数日、自分で決めた距離だけ歩くという人も多いらしい。教えてくれた彼女も、旅の途中に1週間ほど歩いてみたということだった。

いいな。いつか行ってみたい。

心の端へ作り貯めた旅先(TO DO)リストへ書き加えたのだった。

それからしばらくして、また南スペインに行くという話が持ち上がった。ついでにポルトガルも旅程に組み入れ、ふと地図を上にたどると、スペインの北の端に、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という名前を見つけた。

どこかで聞いた街の名だ。調べてみると、あのスペイン巡礼路の終着地だった。フランス、スペイン、ポルトガル、その各地から発する巡礼の道はみなここへ向かってのびている。キリスト教徒にとっては、エルサレム、バチカンと並ぶ、三大巡礼地の一つとされており、旧市街そのものも世界遺産となっていた。

巡礼者は旅の最後に、聖ヤコブの遺骸が祭られたこの街の大聖堂でミサを受ける。その際、高い天井からロープに吊られた香炉が前後に大きく揺らされて、人々を清めるのだという。大聖堂のちょうど正道を重さ90キロもの香炉が、時に高く、時に地面すれすれを振り子のように揺られる光景は、さぞ迫力のあることだろう。

想像して、また地図を眺めた。

ふむ。こことここをちょこちょこっと詰めれば、一日二日は空けられるかもしれない。この日程では、今回はさすがに歩く時間はないな。まぁ、それは追い追い。

こうして旅程に一泊分、実に都合の良い思いつきにより、ガリシアの聖都が追加されたのだった。

ポルトガルのポルトからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは、バスでおよそ4~5時間の距離だ。直行だとのんびり構えていたら、途中で何故か降ろされて別のバスへ乗り換えるというイレギュラーも発生した。しかし田舎ではこれもままあること。運転手はスペイン語しか話さないけれど、乗客には国内外の旅行者が多いので、適当についていけばそれほど問題はない。

到着したバスターミナルはなかなかの広さで、日のあるうちに着いたせいか、それともここが聖都だからなのか、街の端にあるわりに治安の悪さは感じなかった。

立体的なターミナルの半地下からエスカレーターで上へあがると、旧市街へと続く道がある。タクシーも待っているが、歩けない距離ではないし、道順も難しくない。石の道をゴロゴロとスーツケースを引きながらでも、15分ほどで旧市街への入り口辺りにある宿へ着く。

徒歩で旧市街に近づくにつれ、道々にホタテ貝のマークが見られるようになる。大きなヨーロッパホタテ貝は聖ヤコブのシンボルであると同時に巡礼のシンボルであり、巡礼者はこのホタテ貝をぶら下げて歩く。また巡礼路の途中にホタテ貝のマークを掲げた建物では、巡礼者を無料、あるいは安く泊まらせたり、食べ物を提供したりする。この辺りは日本のお遍路さんと同じだ。

石造りの古い建物をリノベーションしたB&Bの一室に荷物を置き、早速、街を散策がてら夕食をとりに行こう、ということになった。

雨こそ降っていないものの、路上は湿ってひんやりしていた。私たちを追い越すようにして、貝をぶら下げた親子が足早に通り過ぎて行った。彼らの足元は裸足だった。巡礼の街に来たのだという実感がわきあがる。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの旧市街は、ぐるりと車の走る広めの道に囲まれて、その内側に入ると途端に道幅は狭く、色彩は一段暗くなり、どこか古めかしいような雰囲気が漂っていた。分厚い雲に覆われた空や、10月終わりの肌寒さ、ちょうど日が落ち始めて夜へと向かう時間帯に到着したことも、その暗く厳かな空気に拍車をかけたのかもしれない。

宿の面した通りは広くはないが、小さな商店や飲食店がいくつも並ぶメインの通りの一つだった。ちょうどはす向かいに、美味しい魚介類をだすという人気の食堂があったのだが、あいにく閉まっていた。今日がだめなら明日の昼にでも、と未練たらしくガラス張りの店先で立ち止まってみたものの、スペイン語の張り紙にはどうも、何日間か休業しますと書いてあるような感じだった。仕方ない。

気を取り直して、通りを中心部へ向かってまっすぐ下り、途中で左にそれてしばらく進むと、旧市街の東に位置するアバストス市場へ出た。既に店じまいした後のがらんとした建物の正面側には、その名を冠したレストランがあった。

市場に併設されているだけあって新鮮な魚介が食べられそうだ。興味を引かれたけれど、悲しいかな、開店まであと2時間も待たねばならない。日本ならちょうど飲食店のディナー営業が始まるくらいの時刻なのに、スパインの夜は始まりからして斯くも遅いのだった。

明日また覗いてみようと言いながら、市場を後にした。

しばらく道沿いに歩いてみたが、いよいよ日が暮れ、お腹も鳴り始めた。町の中央にある大聖堂の方を回って、店の連なる大通りへ戻ることにした。

大聖堂前の広場にたどり着くころには、街には灯りがともり始めていた。

つくづく、古い街並みというのは、夜にこそ神髄とも言うべき神秘的な姿を現すと思う。そして欧州の人々ほど、その美しさを理解し、際立たせるのに情熱を注ぐ人種はいないのではないだろうか。ヨーロッパの古都を訪れるたび、いつも圧倒される。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの街並みもやはり、夜になるほど美しく見えた。ここには心を萎えさせるような青白い光はなく、気づかぬうちにあたたかなオレンジ色があちこちに灯される。 黒っぽい石畳を街灯が照らし、濡れたような艶をたたえていた。

スペインでも最大規模のオブラドイロ広場に面した大聖堂正面のファサードは、まさに寝転がって見上げるのがちょうどよいほどの大きさがあった。9世紀から18世紀まで、建ったり壊されたり増築されたりの歴史を持つこの建物は、ロマネスクからバロック、ゴシックなどの建築が混在しているという。

建築に興味のある妹がひとしきり写真を撮り終わるまで、私はぶらぶらと色んな位置からファサードを眺めてみた。 どこから見ても、その迫力が損なわれることはなかった。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ、大聖堂正面のファサード

興奮した妹の、どこからどこまでが~という解説はまるで左から右の耳へ抜けるように頭を素通りしていたけれど、いくつもの様式が複雑に絡み合う建物の威容は重なり合う歴史の重みを思わせ、何故か心地良かった。古くから存在してきた土地や建築物には、人に作られ人を見てきたものの、何かしら温もりのようなものを感じる。 たとえそれが、どれほど血みどろの歴史であったとしても。

広場をぐるりと回ったところで、ファサードへ向かって左側の建物の前まで来た。サンティアゴ・デ・コンポステーラのパラドールだ。

スペインには「パラドール」と呼ばれる国営の宿泊施設が各地にあり、歴史的に価値の高い建物、例えばお城や領収館、修道院などを改築して、宿泊者を受け入れている。もとの建築物の性質上、装飾や立地の素晴らしさは折り紙付きで、日本で公営と言ってイメージするような簡素さとは対照的な高級宿だ。英国のマナーハウスとも似ている。

この地のものも、人気のあるパラドールの一つだ。 もとは病院だったらしい。重厚な装飾が施された扉から中をうかがうことはほとんどできないが、きっと歴史の中に入っていくような特別な空間が広がっているのだろう。巡礼の道を歩いた後、こんなホテルに泊まるのも良いかもしれない。

サンティアゴ・デ・コンポステーラのパラドール入口

さて、大聖堂を後にした我々は、とにかく何かにありつこうと、大通りで見つけた開いている店へ適当に入ることにした。生ハムの足を模したオブジェがぶら下がった明るい内装のバルで、手前のカウンターが満席なのを見て、なかなか良さそうだということになった。

店内の給仕は中年くらいの男性がメインで、特に背が高くて目のぎょろりとしたウェイターが仕切っているらしかった。この不愛想なオヤジはいかつい顔をニコリともせず、視線と手ぶりだけで私たちを奥のテーブルまで案内した。

とりあえず赤ワインと、ティント・ディ・ベラーノ(赤ワインのレモネード割り)。それから腹へり飲みのお約束、パパタス(ジャガイモ)をつまみに頼む。もちろん、スペインのフライドポテトにはニンニクの香り漂うアリオリソースがかかっている。

それから、「緑ピーマンの素揚げ」。スペインバルで外さないつまみの一つで、日本人の口にもよく合う。いわゆる「ししとう」の素揚げのようなものだが、日本のししとうよりも肉厚で、種が少なく食べやすい。

以前、バルセロナでこのタパスを食べてから、日本の居酒屋で枝豆を頼むような感覚で、スペインのバルではよく頼むようになった。つやのある小粒のピーマンに粗く引かれた塩がキラキラと光る様は、思い出しただけで唾液がでてくる。

この店には英語とスペイン語のメニューがあったが、スペイン語の方には「パドロン」と書かれていた。 後になって知ったのだが、この「パドロン」というのは実は町の名前で、サンティアゴ・デ・コンポステーラから南に30分ほどのところにあり、小粒ピーマン、ピミエントスの一大産地なのだそうだ。産地の名前が食材そのものを呼ぶ際に使われている、というのはよくあることだ。

パドロンという町はまた、聖ヤコブともゆかりの深い土地らしく、サンティアゴ・デ・コンポステーラに辿り着いた巡礼者たちが、そこからさらに足を延ばし、最後に着ていた服などを燃やすので有名な 「世界の果て」、フィニステレなどと同様に、“巡礼後”の目的地の一つでもあるのだった。

私にとって、美味しいものと歴史というストーリーの組み合わせほど、旅への意欲を刺激されるものはない。今度ガリシアを訪れる機会があれば、パドロンはまず目的地の一つにしよう、と思ったのだった。

外さない2つのタパスに続いて、ピンチョスをいくつか頼むことにした。飲み物のグラスを置いたオヤジにおすすめを聞くと、

「アンチョビとパプリカのやつが良い」

と言う。

顔にたがわぬ渋めのチョイスだが美味しそうだ。メニューをチェックするとナスも入っている。これは外せない。私はナスが好きだ。

他にも、チョリソーと唐辛子のピクルスなどいくつか頼む。

運ばれてきたものはどれも、派手さはないが文句ない味だった。パタタスは揚げたてでホクホク、そこにほのかにニンニクの香る白いソースが食欲をそそる。ピンチョスはやはり、おすすめされたのが特に美味しい。とろりとしたアンチョビの旨味が、丁寧に皮をむきマリネされたナスとパプリカとよく合って、いくつでも食べられそうだった。

惜しむらくは、パドロンが少々揚げすぎだったこと。せっかくの鮮やかな緑が半分近く茶色っぽくなってしまっていた。さては我々をアジア人と軽く見て、失敗したのを寄こしたのか?と穿ったことも考えてみたが、よそへ運ばれていく皿も同じように色あせが目立つ。これが通常運転だとしたら、せっかくのパドロンがもったいない。

私たちは「揚げすぎに気付くように」という期待を込めてパドロンをいくらか残し、1軒目を後にした。

スペインに来たのだから、バルのハシゴはお楽しみ。どこかもう1軒、というところで、せっかくだから、何か貝を食べようということになった。

サンティアゴ・デ・コンポステーラは“貝の街”だ。いたるところに貝の印があるし、海が近くて貝がよくとれる。

ちょうど近くにムール貝の美味しい店があるという。行ってみると、そこはどこにでもありそうなちょっと薄暗いバルだった。店先にいくつかのテーブルを出し、あとは店内のカウンターや2人掛けのテーブルで飲み食いする。洒落っ気は皆無の、正直言ってボロい店だった。

私たちが入っていくと、スペイン人らしい30代くらいの男がカウンターに立っていて、奥から中東系の若い女の子が出てきて給仕を始めた。

人の入りもぼちぼちといったところで、本当にここで美味しいものなど出てくるのだろうか、という不安がよぎるが、まぁものは試し。

カウンターに陣取り、白ワインを頼んで、安っぽいメニューを開く。すると確かにあった。ムール貝のガリシア風ソース掛け。他は見ずにそれだけ注文した。カウンターの男は酔っぱらっているかのように陽気で、鼻歌を歌いながらオーダーをとると、ワインと一緒に小さな皿に乗った突き出しを置いた。

ラテン系で愛想のよい若い男にうさん臭さを感じるのは私だけだろうか。

急に、何組かの客が続けてやってきた。

すりきり一杯のワインをちびりと飲み、隣にあった突き出しを一つ食べる。フォカッチャのようなパンの間にトマト味のツナを挟んで、指でつまめるほどの大きさに切ってあり、一見するとなんだかちょっと乾いてしまっているようにも見えた。今思えば、あれはエンパナーダというスペインのパイ料理の一種だったかもしれない。ただとにかく、その時は注文したものが出てくるまでしばらくかかりそうだったので、何となく口に入れただけだった。

「あれ?美味しい…」

そんな馬鹿な、とは言わないまでも、意外にしっとりして味も決まっている。これはもしかして。

そのうちにやってきたのは、大皿いっぱいに淡いオレンジ色のソースがかかったムール貝だった。既にある程度飲み食いした後で、「食べきれるだろうか」という不安がよぎるほどのボリューム。しかし、これは全くの杞憂だった。

ソースのオレンジ色はパプリカだけかと思ったら、結構ピリっとくる辛さがあり、旨味はあるけれど見た目ほど重くもなくて、次々いける。実をいうと、ソースが美味しくて貝の味そのものを気にしていなかったのだが、臭みなどはなかったので、きっと新鮮だったろうと思う。

気が付くと、かごに山盛りあった付け合わせのパンまで、ほとんどがお腹の中に納まっていた。

侮れない店、そして恐るべきソースだった。

突き出しのエンパナーダ?おそらく無料。

後編へ続く

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