コロナ禍でも、家にいることは苦にならなかった。もともと一人でいるのは好きだし、インドアかアウトドアかで言えば間違いなく前者。さらに気楽な一人暮らしとくれば、快適すぎて涙が出る。願わくは図書館が貸し出しくらいやってくれたら、などと思いつつ、それもネットの発達した昨今では大した悩みではない。なんなら、おはようからおやすみまでスマホで小説やら動画やらを鑑賞しながら優雅に暮らしていける。健全かどうかは別として。コロナが去っても、もう元には戻れないだろうと思う。
時間が有り余るこんな時には、ふとした瞬間に過去のことが思い出されたりするものだ。料理をしながら、「あぁ、あそこのアレが食べたいなぁ」とか、やっと花粉が収まってきた日差しの下で洗濯物を干しながら、ベランダから布団を落っことした時のことがフラッシュバックしてじんわりしたり、ぼーっと湯船につかるうちに、ふと誰かと交わした会話をなぞっていたりする。そこへ、ここのところ始まった朝夕の市中放送が、防災回線を通して聞こえてくる。
「新型コロナ ウイルスの影響で、緊急事態宣言が…」
というやつである。楽しい話でもなし、毎度同じことを繰り返されて正直うんざりする。防災アラームというのはそもそも耳障りにできているのだろうから、不快さもひとしおだ。
さらには真夜中に、今度はスマホから地震警報がけたたましく鳴り響く。揺れたか否かわからないくらいの些細な地震に反応する警報に、胸はドキドキである。全く、なんだ、なんなのだ。
そんなことを考えていたら、留学中のことを思い出した。
留学先では大学の構内にあるアコモデーションに暮らしていた。1年目と2年目は別の建物で、いずれもシャワーとトイレがついた部屋に、キッチンのみ共同だった。水道光熱費にネット環境、一~二週間に一度の清掃が入り、一月で約九~十万円かかるフラットの一室は、2年目は特に、新しかったこともあり他所で暮らすより多少値が張ったが、ある程度のプライバシーが保障され、通学時間も短いのは貴重だった。管理窓口が大学だったので、あらかじめ友人たちとワンフロアを借り切るよう手配できたのも良かった。
多国籍のフラットメイトとの共同生活の難しさはいたるところでよく耳にしたし、1年目の経験からも、生活環境で余計なストレスがなくすんだのは、とりわけ有難かった。共有スペースが汚いだの物がよくなくなるだのはまだ良い。ハイスクールを卒業したばかりの学部生向けの安いフラットで日常的に繰り広げられるという、地響きとともに始まるパーティの騒音や、酔っ払って夜通し部屋の扉を叩かれるなどといった狂気の事態には、それなりの歳になった自分が耐えられるとは思えなかった。若さだけではない、国籍や民族の違いによる価値観や倫理観のギャップというものが明らかに存在する現実を留学生活では嫌という程思い知った。
一年目から二年目のフラットへ移るまでには二月ほど間が空いた。ビザの書き換えが必要なため、私自身は一度日本へ戻らなければならず、その間、荷物をどうするかという問題があった。この問題は有難いことに、台湾人のヴィクターが自分の部屋で預かってくれることで解決した。おまけに、引越し当日に荷物を引き取りに行くと、彼はどこからか箱付きの台車を引っ張ってきて、「荷物が多すぎる」と文句を言いながら、預かっていた家財道具を載せて新しい部屋まで運んでくれた。私のはす向かいの部屋に入る予定だったので、下見したいのだなどと言っていたけれど、なんだかんだ、良い奴だった。因みに、オタク趣味のある彼の荷物は私の倍以上あったと思うが、引越しを手伝った記憶はない。今考えると、ちょっと申し訳ないような気もする。
一年目も二年目も、建物は違えど同じように思い出されるのが、アラームだ。何のアラームかというと、ファイヤーアラーム、いわゆる火災報知器である。日本にいれば点検の時くらいにしか耳にしないことも多いが、短時間でも耳を塞ぎたくなるような大音量で異常事態を告げるあの警報音が、留学中にはまぁ頻繁に鳴っていた。
しかもこのアラーム、一度鳴ると、しばらく鳴り止まない。具体的には、(建前上)全員が外へ避難して、係員がどこからか車を飛ばしてやってきて、建物内の(建前上)全室を確認し、異常がないと判断するまで、鳴り続ける。目的を考えれば、当たり前といえば当たり前なのだけれども。
留学生の多かった一年目のフラットでは、初期など特に、一月に一度のペースで鳴っていた。帰国までには結局、十回以上経験したと思うが、なかの一度も本当に火災だったことはない。誤作動、というか何というか。性能が悪いのか感度が高過ぎるのか、モノがモノだけに判断しづらいところである。イギリスのファイヤーアラームはとにかくセンシティブなのだ。
困るのは、いつでも何をしていても起こる時は起こる、ということだ。浴室で頭を洗っていようが、ノンレム睡眠の最中だろうが、関係ない。
油断しているとやってくる。
忘れた頃にもやってくる。
それがファイヤーアラームだった。
高感度だとはいえ、これが鳴るのにはやはり理由があるわけで、こっそりタバコをふかしたり安いアロマキャンドルに火をつけちゃったり、誰かしら何かしらやらかした結果、みんなが迷惑を被ることになる。なかでも頻繁に出火を誤認されたのは、キッチンだった。
親元を離れて初めて自炊をするような学生も多いのだろう。パスタを水から茹でるパキスタン人、実家から持ってきた異臭のするスパイスを肉に刷り込んで放置するアフリカ人、ガス線の通ったコンロを小爆発させるロシア人など、彼らの迷走暴走の様子は枚挙にいとまがない。学生寮のキッチンはまさにカオスだった。それに拍車をかけるのが、中国人留学生の存在である。
大抵の若い学生は、実際には自炊というほどの自炊をしないのだけれど、中国人は違う。彼らは食べるということを大事にするし、基本的に食べるのが好きだ。そして、彼らが日常食べるものといえば、どこへ行っても中華料理なのである。豪快に食材を使い、巨大な鉄鍋にたっぷりの油で大胆に調理する。夕方になるとよく、三室ほど隔てた共用キッチンから、ダンッダンッ、と骨ごと肉を断ち切る音が聞こえてきたものだ。とかく中華料理とは煙や蒸気とセットなので、特に加減のわからない最初のうちは、中国人が夕食を準備し始める頃になると、よくファイヤーアラームが鳴った。
夕方に鳴るファイヤーアラームの原因は明らかだった。みんな「また中国人か…」と思いながら“避難”していた。犯人不明の確率が圧倒的に高いのが、深夜のアラームだ。
寝ているところを起こされて、一日でいちばんの寒さに震えながら外へ出てひたすら待つ。すっぴんだし、寝間着だし、眠いし、勘弁してくれという気分だが、この時間に同じ避難民を観察するのは、実は私の密かな楽しみでもあった。
見るからに「シャワー浴びてたんですね、お気の毒に」というビショビショの髪の子がいれば、よくもまぁこの短時間でと思わず二度見してしまうほどばっちりメイクをしている子もいた。
モコモコのホットパンツからつるっとした長い足を覗かせ、彼氏と一緒に避難してくるリア充女子たち。その顔は寒そうにあるいは気だるそうにしながらも、どこか優越感に満ちていた。そういう子たちの彼氏は大抵ピタッとしたTシャツにスウェットやジャージを着ていて、無造作に寝癖などつけつつ欠伸してみせるのがお決まりだった。そいつらに比べたら、ダルダルのだっさいキャラクターTシャツや、上下揃いのパジャマにガウン姿の男の子たちの方がよほど可愛かったが、世間の評価とは得てして彼らに冷たいものだ。
因みにイギリス人の部屋着といえばガウンで、家で過ごす時は老若男女とりあえず上にガウンを羽織るのがデフォルトなのだけれど、学生寮ではガウン着用者は2割程度の少数派だった。外国籍の学生の多さを表していたのかもしれないし、そもそも自国の誤報ファイヤーアラームを熟知している学生たちは、避難せずに様子を伺っていた可能性もある。
私が最後にこのファイヤーアラームを経験したのは、卒業式に出席するために家族と大学近くのホテルに宿泊した時だった。のんびりブッフェ形式の朝食を楽しんでいたら、いきなりあのけたたましい警報がファンファンと鳴り響いたのだ。慣れた様子の従業員に誘導され、朝食会場にいた人々は連れ立って外へ出た。
スコットランドの十二月。早朝、外は氷点下六度の白銀の世界だった。余談だが、湿気を含んだ外気が凍ると、木々や草木の表面が白く半透明にコーティングされて、雪が降っていなくてもそれはそれは美しく幻想的に輝く。冬のスコットランドで私が最も好きな景色だ。ただし、薄着一枚で外に放り出された場合を除いて。
全くもって迂闊だったとしか言いようがない。まさに、油断して忘れた頃にやってきた。周りを見れば、みんなコートや防寒着を身につけている。外着を羽織っていないのはうちの家族だけだった。特に私は、ちょっと胸元の開いたよそ行きのワンピース姿という、無防備極まりない格好をしていた。母の持っていたハンカチを首に巻き付け、せめてこれがもう一回りできるくらいの首の太さなら…しかしそれではそもそも皮下脂肪が少なくて寒いかも、などとしょうもないことを考えながら耐えた。
「あらあら、ダメよ〜ちゃんと何か持ってこないと〜」
と、隣でダウンコートに身を包んだ奥さんに諭される。周りも当然のようにウンウン頷いている。これを「備えよ常に」の精神が徹底していると見るべきか。いや、間違いなく、みんなファイヤーアラームに慣れすぎているのだ。
大学の学生寮に限らず、英国のファイヤーアラームはとてもよく鳴る。
お気をつけあれ。
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